このドラマは、奥さんだけを描いてきた著名な画家カン・ホジュンが離婚を承諾したところから始まる。しかし、妻は夫がまもなく失明することを知ってしまう。江華島のガイドをやっている女性が、ヒロインとなるソ・ユギュンである。(1)は、彼女が積石寺のガイドをしているシーンである。「江華島の寺は、天竺の名僧が、高麗山の上から五輪の蓮の花を投げ、落ちたところに建立しました。ここ積石寺には赤い蓮の花が落ちてきました。ここには、落照台というところがあって、ここから見る落日は、江華島八景で最も美しいと言わています。・・・」彼女は、観光ガイドを漠然とやっているが、ある日、3人連れのガイドを、破格の料金で引き受けることになる。その3人とは、光を失ったカン・ホジュンとその妻、そして画家の絵を管理している顧問弁護士である。妻は離婚は同情で踏みとどまったが、顧問弁護士と関係ができつつあった。
妻と弁護士の関係にうすうす気づいてひねくれてきた盲目の画家は、浄水寺の水をいやがる妻に勧めたり(2)、支石墓の色をガイドに聴いたり(3)しながら、江華島の観光を続けていく。分五里高台では、会話の中で江華島に縛られた自分のことを「島流しみたい」とユギュンは言ってしまう。気まずくなった4人は茶室に入る。男たちがトイレに行った間に、ユギュンが夫婦の関係について触れると、妻はに「口を出さないで!」と一括されるのである。
伝燈寺(4)の入口では、名文句「事物は鏡で見るより近くにある」というキーワードをユギュンが見つけてつぶやく。その頃には、ユギュンはこの三人の関係に気づき、盲目の画家に同情して連れ添いながら(5)歩くようになっていた。そしてこの寺で、このドラマのテーマとなる大雄殿の軒先にある裸婦像の伝説を語ることになる。ここを建てた宮大工の棟梁が、惚れた酒場の女に大金を預けた。その女はその金を持って、他の男と逃げたのである。怒った棟梁がその女の裸婦像を作り、大雄殿を支えさせてさらし者にする罰を与えたという伝説である。しかし、画家は言う。「女は好きな男と逃げて幸せになったかもしれないが、男はこの像を造ったためにさらに苦しみ続ける罰をうけることになっただろう。」
そして画家は、江華島の別荘でついに浮気の現場を押さえて妻を殴る。妻は、作品の素材としてしか見られていなかった今までの苦悩を語る。破綻を恐れた画家は、弁護士に妻を共有しようと持ちかけたが拒否され、妻と弁護士は画家のもとを去っていった。
そういう状況で江華島観光は途絶えることになったが、ガイドをすっぽかされたと思ったユギュンは、目隠しオニをやっている子どもに思わずミカンを投げつける。このときに、画家に惹かれている自分に気づく。生まれて27年間も味わったことの無かった感情に気づいた彼女は、次の日、画家の別荘を訪れる。俺の方が、「前から妻を愛していたのに..」といじけている画家に、彼女はイスとりゲームに例えて「先に座ったら最後まで座るの?」意見してしまう。そんな彼女に「盲目になって絵が高騰してからは、妻以外の女にもてるようになった。おまえもそうだろう。」と、画家は毒づく。ユギュンは一度別荘を飛び出すが、すぐに画家の気持ちを思いやりもどってくる。
二人は、席毛島行きの連絡船の船着き場の食堂で昼食をとりながら仲直りをする。連絡船に乗り、二人は素直に語り合う。(6)「いやならなぜ島を出ない?」「いやだから出るの?皆そうして生きているの?」「私は島にある銀杏の大木や寺のようにずっとあるものと同質なの。」との会話の後、女は思わず歌を口ずさむ。「魔法の城を越えて沼を渡り...」姫を救い出してくれる王子様を子どもの頃に信じて歌っていた「魔法の城」という歌である。「信じてくれるかい?僕の夢の中で君は...かならず君を救い出してみせる。」と、続きを歌う画家。
次のシーンは、席毛島の普門寺ではなく、再び夕日が美しいので有名な積石寺(赤蓮寺という名だったが、頻繁に起こる火事のため改名)となる。日も傾き、顔に夕日による火照りを感じた画家は、落照台(寺の裏山の展望台)から落日を見たいと言う。落照台(7)で画家は落日の状景の説明を請う。「・・・火の玉が落ちているみたい。あっ、さっき行った席毛島が見える。太陽が島の間をゆっくりと沈む。いや、はやく、急にはやくなってきた。・・・」と、子どものように表情豊かに彼女は語るのである。ここには50回もガイドで来ていたが、日の入りを見たのは初めてだったのだ。ここがこのドラマのハイライトシーンで、MC The MAXのMVは、このシーンが感動のラストとなる。
その後も二人は落日の余韻を楽しんでいたが、ふと気づいて急いでもどろうとする。しかし、寺にもどる山道は暗くて歩けなくなって、彼女は座り込んで泣き出してしまうのである。(実際の落照台と寺の間の道はかなり近いし、ほとんどはコンクリートがうってあるので、それほど困難な道ではない。50回も往復しているのなら目をつむっても歩けそうなもんだが..)闇になれている画家は、ここで奮起して彼女を先導して下る。「俺も捨てたもんじゃない!」と、自信をつけるける。また、寺に積もった雪で彼女の像を創ってプレゼントする。
彼女は、「私にはわかるが、あなたは私とすれ違っても気づかないのがくやしい。」と、ガイドの終了とともに訪れる別れを前にして嘆く。そんな彼女の顔を手でなぞり、「イップだ」と画家は言う。さらに彼女のコンプレックスの原因でもある胸の火傷痕にキスをする。そうして一夜を共にするが、画家は「僕には先が見える」と、関係の継続には踏み切れないのである。翌日、去っていた妻と弁護士が別荘にもどってきた。「私には、盲目の夫を捨てて隠れて生きることはできない。駆け落ちした酒場の女がうらやましいわ。」と言う妻とともに、画家はソウルに帰って行った。
ユギュンは、画家が造形の分野で再起したことを新聞で知る。そして、ガイドで願掛けの場所を通るときに、「私の願掛けはかなったの?」とぼんやり考える。ある日、そんな彼女に画家の妻からのカン・ホギュンの個展「花」の招待状が届く。その個展の作品には、それまでのイメージを払拭した赤い花がある。そのときには、妻は画家との夫婦関係から解放されていたのである。ユギュンは個展には現れなかい。もと妻が「別れ際にいつまでも手を振っていたあの子の気持ちは、同情ではないわ。」と言うと、画家は「今さら遅すぎる」と寂しく笑う。
彼は、ひとり家に帰ろうとタクシーに乗る。車内にはラジオの音声が流れている。ちょうどその時、ユギュンはバスに乗って同じラジオ番組を聞いていた。そしてラジオから流れてきた曲が、あの「魔法の城」である。胸がいっぱいになるユギュン。その時ホギュンの乗ったタクシーが急ブレーキを踏む。バックミラーで確認して車線変更をした運転手が、接近した後続車を見誤ったのだ。ホギュンは、バックミラーに「事物は鏡で見るより近くにある」という注意書きを見つける。少し考えて、ホギュンはタクシーの運転手に江華島に向かうように告げるのであった。
まあざっと、こんなストーリーだ。最後はつじつま合わせのあざとさも気になるが、全体としては印象に残る、なかなかの秀作である。江華島観光の前にチェックしておくと、全然違った有意義な旅となるという点ですばらしい。このような地域性の強いドラマを各地域で創ってくれればいいのだが、と思う。