捕虜収容所を下る
次に入った館は右の写真のようにヘルメットの形をしていて、収容所内の暴動の様子が左写真のように展示されている。各館に冷房はあるのだが、開け放しの出入り口にはエアカーテンもなく、あまり冷えていない。電気代もかなりのもんだろう。
そこから下ると、二枚羽根のロッキード?の練習機?が展示されている。その下の館は、女性の収容所生活の展示、そして展示館の最後は、ホログラムの動画つきのジオラマ展示である。移動機関車などの展示も見て下ると、先ほど前を通った巨大ヘルメットの広場の前に出る。しかし、この暑い日差しの下、誰もこの広場に向かう人はいない。暑さに弱い私は、そのまま本館(捕虜収容所遺跡館)に逃げ込むように入る。
ここには、映画室と展示室がある。この館のちょうど上には慰霊塔のようなものも見えているが、ここも誰もいかない。映画館はたいした映像は流れていない。展示室は、これまでの館で見た内容のおさらいのような館である。施設の説明や歴史などが写真や映像、ジオラマで展示されている。この戦争で使われた火器(ピストルからロケット砲まで)がずらりと展示されていて、その手のマニアも楽しめる。展示室の出口にある砂漠にラクダの場違いの絵があって、なぜか印象に残った。
この施設はこれでは終わらない。本館を出くだったところに、原寸大の捕虜収容施設があるのだ。その入口には関連映画である「黒水仙」のポスターがあり、多くの人が入口近くで記念写真を撮っている。施設に入り、上に見えるいくつかのプレハブ長屋に登る。そこは、中はがらんとした作業所や住居小屋で、通りぬけて外に出ると、写真のように完全に野外の公開トイレの前に出る。陰部もちゃんとある人形が用を足している。その横には野外の調理場があり、隣の屋内の調理場もそれらしくつくられている。下っていくと、かまぼこ型の医療小屋があって、そこにはちゃんと人形の医者や看護婦、患者がいる。点滴もこの時代には使われていたようだ。そこを降りていくと司令部?があって、将校と通信士が事務を執っている。
捕虜収容施設はその程度だが、この司令部の前には小型ジェット機や装甲車、左写真のような移動砲台、そしてこの戦争ではまだ使われなかったと思われるヘリコプターなどが所狭しと並んでいる。子どもたちは砲座に座ってお満悦だ。さらに下ると、戦車なんかもある。そこから奥に行くと廃屋の残骸がいくつかあって、そこからは隣の中学校もよく見えるが、昼時だからか人影はない。
12時20分、この公園の出口となる建物にはいる。ここには、巨済島の大きな模型があって、この島の観光案内と土産物販売所となっている。しばらくエアコンで涼んでから外に出る。さて、帰りはどうしようか。この日差しで真昼に1.9kmはちょっとつらい。一応バス停もあるので、バスが来るようなら乗って、市外バスターミナルに向かうことにする。
12時30分、バス停着。街路樹の影に入ってバスを待つが、なかなか来ない。もうタクシーでもいいかと思ったが、空のタクシーさえ通りかからない。12時46分、待ちきれないで、仕方なく歩いてバスターミナルを目指す。そこからは、しばらくほとんど影もない幹線道路沿いを市庁まで歩き、そこから右に折れて街へ下る。市街地に入り繁華街にでると、筋々に市場がある。写真はその中の海産物の市場である。
13時14分、古県バスターミナルに到着する。このターミナルの入口の上には、なぜかボーリングのピンがある。ここはボーリング場だったのだろうか。2100wで、すぐに統営への切符を買うが、ちょうどバスが来ていたので、そのままバスに乗り込み、13時18分、古県を出発して荷物を置いている統営に向かう。
2006 08/11