ソウルに着いて、まず向かったのは景福宮である。といっても王宮というだけでどんな由緒があるのかは全く知らない。色づかいに緑が多い以外は、日本の古都の建物とつくりは似ている。しかし、宮殿の広い敷石の広場も物珍しい。私が最も興味を持ったのは背景の北岳山から北漢山へ、そして仁旺山から鞍山への花崗岩の露出した山々であった。自然豊かな山ではないが、登るにはおもしろそうな展望の山のようである。この宮殿跡で記念写真を撮ったりしてしばらくうろついた。日本語が話せるインテリ?のバスガイドが私たちと同行した。彼女は日帝のシンボルだった朝鮮総督府の建物が今解体されようとしていることを声も高らかに主張している。しかし、朝鮮総督府が韓国人にとってどんな意味を持っていたのか知ろうとする人が私たちの中にどれくらいいたのだろうか。敷地内の宮殿正面に総督府を建てたのも、今までそれを不自然なまま残しておいたことにもいろいろな事情があったのだろう。写真は壊される総督府を背景に撮ったものである。
次に、カジノに行く。カジノは外国人専用で、韓国人は賭博が禁止されているので入場できないそうだ。日本で在日韓国人の成功者も多いパチンコでさえ韓国では禁止されているという。免税品と賭博については外国に出た人間の特権ではあるが、私は法の編み目をくぐるせこい行為としか思えないので否定的である。賭博が禁止される理由を考えればあたりまえのことではあるが、世の中にはこの博打が好きでたまらない人もいるというのも確かである。後で知ったことだが、韓国では日本から来た花札「ゴーストップ」が、きわめて日常的な博打として生活の中に浸透している。私は博打にはほとんど興味もないので、ホールをうろうろして時間をつぶす。ふと見ると、入口の柱の影でガイドが「しっかりここでお金を使ってね」って感じで、私たちの様子を観察している。
この後、国立中央博物館に行ったことになっているが、ほとんど記憶がない。
ガイドは、教育関係者が多いと知って張り切って自分のことも語り出す。どうもそのころ韓国では異常に男の子をかわいがり?勉強させるのに夢中のようだ。自分にも息子がいて、ほとんど缶詰状態で勉強させていると言う。危ない自転車には子供は乗せないのもあたりまえだそうだ。家庭教師や塾などにどっぷり浸かりほとんど遊ぶこともない男の子。はじめは半信半疑だったが、少なくともその当時のソウルでは一般的な現象のようである。そのこと自体は社会問題だと思うが、韓国社会で認められる家長を育てるためには仕方がないそうだ。
韓国といえば焼き肉。夕食は市内のレストランでこの焼き肉(一人あたりカルビ二人前)を食べた。味付け肉であること、調理ばさみで店員が肉を切り分けていたことは記憶に残っているが、サンチュやエゴマの葉に包んで食べることはしなかった様な気がする。キムチもほとんど印象がない。
今日の旅程も終わり、ホテルから街に出てみる。目につくのはガイドが「特攻警察」と呼んでいた若い警官(銃を持っていたのかは記憶にないが、半分軍人みたい)だ。街の角々に立っていて物々しい。しかし、彼らのおかげで、ほとんど犯罪が起こるような雰囲気ではないので、安心して街を闊歩できる。市庁から南大門付近を歩き回った。この国の国民の嗜好がすぐにわかるので、本屋にも寄ってみる。するとまず目につくのは日本語、中国語、英語のテキスト類であった。金に直結している?日本語も一所懸命勉強している人がたくさんいるんだと思うと心強い。年配の方は強制的に日本語を習わされた歴史もあるから、これから日本語も結構通じる国になるかもしれないと思った。実際、南大門市場では日本語が結構通じるようであった。