ところが、この暗殺は歴史的にどんな意味があったのかについての韓国のとらえ方には、首をかしげる点が多い。あの時点で伊藤博文を暗殺することにより、日本が引き上げるなどとは到底考えられず、どう転んでも日本帝国の韓国併合派を活気づける事になるはずである。愛国のデモンストレーションにはなっただろうが、結局は併合への引き金を引いたことになる。伊藤は死の直前「犯人は韓国人」と聞いて、「バカなやつだ」と言ったというが、抗日の意図と予想される結果を考えると当然の思いであろう。
日本帝国の強い意向に対して、伊藤博文は韓国を併合することには消極的な立場をとっていたともいわれる。事件後、あわてた韓帝国は使節団も東京に派遣し日本に謝罪したが、予想通り、この事件を契機として日本は朝鮮の併合を威圧的に迫り、翌年、李朝政府と併合条約を結ぶことになってしまった。客観的に見る限り、この事件がなければ、少なくとも韓国併合は遅れたであろうし、強行な初期の韓国統治は変わっていたものになり、独立国家づくりの志士が育つ機会ができたかもしれない。
しかし、一人の人間の生き様としてこの安重根についてみると、なかなか興味深い。彼が主張した「伊藤博文15の大罪」はゆがめられた情報からの誤認識と思えるが、獄中で書いた「東洋平和論」では、「欧米列強のアジア植民地化への日韓清での対抗」を論じている。これは、現代の東アジア経済圏の考え方に安全保障を加えた当時としては現実的な発想である。また、安重根の人柄を示す話として、旅順監獄の日本人看守が安重根の思想・人格に感服し師と崇めたという記録もある。もし彼に正しい情報がもたらされていたら、軍国日本の崩壊とその後に転がり込んでくる独立もある程度予想できたはずで、そのときに対応できる人物の育成や国家組織の形成についても考えられたかもしれない。しかし、実際は、単に国を守った英雄なんぞに祭り上げられてしまい気の毒いうほかない。
ただし、私はテロを無条件に否定するものではない。ある国家が、圧倒的に軍事的優位な国家から理不尽な干渉や圧力を受けて追い込まれた場合、それに対抗できる手段は実質的にはテロか無謀な戦争くらいである。テロは根絶が難しいので、強国は当然テロを悪とすることが国益に叶う。が、情報化が進んだ現在では、安易に武力を行使することができないので、抵抗ゲリラやテロを維持することは大局的には効果的な主張となる。国際平和を維持するための警察をおごる現代のアメリカも、裏を返せば偏った宗教観と価値観を世界にごり押しして、自国の国益を維持する軍事国家であるという側面が認識されるようになってきた。それに対抗するEU、ロシア、そして少なくとも東アジアがまとまることで、新しい均衡が成り立てば、相互尊重の国際平和の見通しも立ってくるのではないだろうか。
韓帝国の不幸は優れた執政官に恵まれなかった点であろう。独立、独立と、脅威に対しての抵抗は立派なのだが、当時の国際状況を見据えて独立国家を国を作り上げていく展望を持つ人材が育っていないからである。日本でも東郷平八郎や乃木希典のような国防の士が神格化されたりもしている場合もあるが、あくまでそれは一部の人によるものである。国民に語り継がれる英雄は、やはり当時は悪人になっても結果として国をつくりあげる礎になった人たちである。 国権の回復には抵抗だけではなく、並行して国権を維持できる独立国家運営の能力を身につけて示していくことが大切なのである。
最後にいうと、この事件は日本人にはほとんど知られていない。初代総理大臣、千円札の伊藤博文の維新後の国家形成での活躍は語られても、この時点では国家間の調整役であった彼が、満州の駅でテロリストに暗殺されたとしても歴史的意味はほとんど感じられないからである。韓民族の気概を示したつもりでも、「朝鮮人は無謀なテロ性をもつ民族である」との意識を当時の日本人に植えつけることとなったと考えるのが自然である。とすれば、併合後、大量に日本につれてこられた韓人への扱いにも悪影響が出たであろう。この事件を取り上げた「2009ロストメモリーズ」が駄作とされるのも、この暗殺が今の大韓民国の独立をもたらしたとする歴史認識があまりにも不条理だからであろう。