子どもの良い遊び場であるその小田川にも、皆が恐れるポイントがあった。それが「大岩」である。五十崎の人にとって「大岩」という名は独特な響きをもって語られる。大岩とは、小田川の内子町と五十崎町の境にある大きな岩(左写真)である。山が両岸に迫っていて薄暗く、近くに人家もないばかりか、神々しい雰囲気もあり、その周辺は畏敬の念をも感じさせる空間であった。実際、その大岩で多くの人が水難に遭っており、実質的にも恐ろしい場所だったのである。大岩自体は白っぽく、その形といい大きさといい海の悪魔と恐れられた「白鯨」のモビーディックを連想させる。川に垂直につきだしているため、流れが渦を巻き、そこだけ深く(6mくらいと言われていた)えぐれるのだそうだ。さらにその渦が水底へ人を吸い込むので、泳ぎのうまい人でも溺れるのだと、子どもの間ではまことしやかに語られていた。写真では木々が覆い被さって、その雄姿は半分隠れているが、当時は、ぐんと川に突き出ていて、その威容を誇示していた。私が小学3年の時、この大岩で隣の学校の子どもがおぼれ死ぬという事件があった。それで、町内の小学生は川での水泳が禁止になってしまった。その結果、私たちは、夏の楽しみであった川泳ぎはできなくなり、味気ない町民プールでのみ泳ぐことになってしまったのだった。2年後、学校にもプールができて、手軽に泳げるようにもなったが、やはり川泳ぎの楽しさと比べると雲泥の差がある。なにより、プールの水は、他の生物が生きられないカルキ臭い薬物漬けである。環境ホルモンの可能性が考えられる今では予防原則に乗っ取って、プールでの水泳はできるだけ避けることにしている。しかし、少なくとも小学生の後半は、夏休み中でも塩素系薬剤漬けになったことになる。そのリスクは当時の科学では考えられなかったことなのでしかたないが、安全なところで自然豊かな川泳ぎを楽しんでいた子どもたちを、いわゆる里川から遠ざける処置は問題であろう。
ある日、けんちゃんは、その大岩へ行こうと言い出した。「大岩」と聞いて、私たちはびっくりした。今考えると、子ども心に何となく近寄っては行けない空間だと認識していたようだ。いつも慎重なけんちゃんが言い出したことも驚きであった。しかし、けんちゃんは自信満々の面もちである。もちろん泳ぎに行くわけではない。カメをとりに行こうというのであった。カニや魚を捕るのと違って、カメ捕りはかなり高度であった。のろまの代名詞で語られるカメは、一端水中に入るや素早く、小学生にそう簡単に捕まるような動物ではなかったからである。それで、カメを飼う場合は、買ってきた外国産のゼニガメ(イシガメやクサガメの子どもで、最近は台湾産のクサガメが多い)か、ミドリガメ(今や日本の生態系破壊動物の一員となったミシシッピーアカミミガメの子ども)が多かった。自然のカメを捕るということは、まず考えられなかったのであった。あの「大岩」なのでちょっと迷ったが、ちゃんと道が付いているという言葉を信じて行くことにした。
翌日、私たちは宇都宮神社の横の川に集合した。小田川は、その奥に堰(現在より200mくらい奥)がある。その堰でできた流れの緩やかな瀬には、四つ手網の仕掛けがいくつもあって、名物のカジカを捕っていた。堰の下流に大きな岩があって、そのあたりで低学年の頃泳いだものである。堰によって水位を上げて、一部の水が用水路に流れ込む。川沿いの通路は、山側に用水路が平行に通っていて、ものすごい勢いで水が流れている。ここに落ちると危ないので、水泳の時は厳しく注意された場所だ。堰のところまで歩いていくと、用水取り入れ口のあたりに、木の一本橋がある。そこから山側に渡る。ここからは、大岩は見えない。
山側の道は、木々が覆い被さるように茂っていて薄暗い。さらにその山側を見上げると、すごい傾斜の斜面である。ここから大岩までの道沿いにカメがいると、けんちゃんは言うのである。カメは川に入ると素早く潜ってしまう。陸上か水辺で沖に向けて向きを変えるまでの間に網をかぶせる必要がある。なるべく、音を立てないようにゆっくりと道を歩く。ペキッと枝を踏むと、ポチャンと音がした。カメが川に飛び込む音だった。スーと深みに潜っていくカメを横目に、けんちゃんの厳しい視線が飛ぶ。しばらく歩くと、けんちゃんが止まってふせるように合図した。振り向いたけんちゃんは、先方を指さしている。見ると二匹のカメが水から出ている。そこから見えないように体を低くして近づく。そして、ふせたままカメのいたあたりにバサッと網をかぶせる。一匹は逃げられたが、一匹は網に中でもがいている。こうらの長さ20cmほどのクサガメである。後ろ足のあたりのこうらに穴が開いている。以前、誰かが飼っていた証拠だ。このようなチャンスは2〜3回あったが、結局この日にゲットできたカメは、2匹だった。
しばらく歩くと、木々の間から大岩が見えてきた。周辺は薄暗いが、大岩だけは白く輝いている。大岩の基部からよじ登り、大岩の上に登る。まさに白鯨の背のようである。岩の先端まで出て、下をのぞき込む。大岩のまわりの瀬は1m〜2mの深さだろうか、底の小石が透けて見える。しかし、大岩に近づくに従って、水は碧みがかってきて深い緑となり、直下は真っ黒でもちろん底は見えない。吸い込むまれるような水の色に戦慄が走る。
道は、大岩までで消えていた。やがて誰かが帰ろうと言い出して、はっと我に返り帰ることにした。帰りは、もと来た道を走って引き返した。大岩のもつ異様な雰囲気に当てられて、少し怖くなったのだ。
私は家に帰ると、カメを飼う場所を考えた。そして、祖父が鶏を飼っていたという鉄筋の小さな小屋(1坪ほどの広さ)で飼うことにした。砂を入れて、多い時にはカメを5〜6匹ほど飼っていた。しかし、自然にいるカメと違って、のろまで特に芸をするわけでもないカメの飼育は数ヶ月もすると飽きてきた。ある春先、冬眠をしていたはずの1匹のカメが出てこない。それで掘ってみると、死んで腐っていた。それを見て、もうカメを飼うことをやめることにした。残ったカメは、人にあげたかもとの場所に逃がしたか下と思うが、全く覚えていない。
中学生になって、川で泳いでもよい(大岩周辺は禁止だったような気もするが..)ということになって、まず向かったのも大岩だった。実際、男の子の間では、この岩の上から頭から飛び込めるということがステータスであった。さらに、大岩の下の水底の砂をつかんで上がることができれば、泳ぎの名人として尊敬されるのであった。私も頭から飛び込むことはできたが、砂をつかむことはできなかった。その過程で、水圧の恐さを初めて感じたのであった。ある程度の深さに潜る場合、耳抜きをする必要があるということを知らないので、6mといえども強烈な耳の痛みに恐怖したのであった。とにかく、五十崎の川と言えば、一番に思い出すのはこの大岩である。