幻のミノゴクワガタ    けんちゃん 7月

 小学生にとって、昆虫採集は最もポピュラーで奥の深い自然遊びである。そして、中学年以上の小学生にとって、その中でもカブトムシとクワガタムシ捕りは、夏の遊びとして今も昔も大きな位置を占めている。
 五十崎の子どもたちは、カブトムシのことを入道と呼んでいる。コクワガタはバカ、ヒラタクワガタはヒラタ、ミヤマクワガタはハコ、ノコギリクワガタはサムライ(上中央写真のように大あごがまっすぐのものは単にノコギリ)と呼ぶ。その中でも私たちの間では、大あごの曲線が美しいサムライが一番目に価値がある。二番目ははさむ力が最強である大型のヒラタ、次に全体に派手で短気なハコであった。バカや小さいクワガタムシは、とってもすぐに捨ててしまっていた。まれにアカアシクワガタも捕まるが、これもそれほど珍重されない。入道は、クワガタムシ同様、一般的には最初はできるだけ大きいものが喜ばれる。しかし、日に10匹も20匹も取れるようになる夏休み後半には、私たちの間では、できるだけ小さいものが珍重されるようになった。もちろんオスがターゲットで、メスはオマケである。サムライやハコなど、一般的なクワガタムシは、はさんでも最大の力はせいぜい数分しか持続できない。しかし、ヒラタは、はさまれてしまうと、強力な上にいつまでも離さない要注意だ。
 採集場所は、もちろん山である。バカなんかは、家に飛んでくることもよくあったのだが、結局、トラップなんかも作ることはなかった。山にはいると、クヌギの木をチェックする。クリやナラの木も一応チェックするが、ほとんどの場合、先輩から伝授された狩猟ポイントがあって、ほとんどの獲物はそこにいる。採集時期は、クワガタムシは夏休み前半、カブトムシは夏休みの後半にピークとなる。夏休みになると、でかいプラ水そうに腐葉土やおがくずを敷き、手頃な木を入れて、ゲットしたクワガタムシやカブトムシが常時数十匹飼われることになった。

 クワガタムシ捕りは、早朝から始まる。夏休みともなると、明るくなり始める5時から6時には家を出て、その日の虫捕りが始まる。カブトムシやクワガタムシのポイントは、竜王山あたりにもあったが、私たちの縄張りは、神南山の前衛の丘陵地帯であった。虫の集まるポイントなる木をぐるりと回って、カブトムシやクワガタムシが一番いる朝に回収するのである。
 まず、家から走って宗光寺に向かう。お寺を迂回して裏手にある山道にとりつく。木々の茂った林を抜け、竹やぶを通り、丘陵の尾根まで出ると視界が開ける。そこからはなだらかな尾根づたいの歩きとなる。すぐに畑があって、その隅の小さなクヌギの木が一番目のポイントである。この木は常に樹液があふれていて、さまざまな昆虫が集まってくる。クワガタムシやカブトムシも必ず毎日何匹かへばりついている。そういう木を数本めぐる。次にちょっと藪の中に入ったところにある背の高いクヌギの木の前に立つ。この木は、クワガタムシが上のほうにいることが多い。その木を蹴るとばらばらとクワガタムシが落ちてくる。木の蹴り方にもコツがあって、左足を軸として踏ん張り、体と右足を平行してTの字型になるように、シャープにそして全体重を乗せて強く蹴るのである。いきなり木が強く振動すると、素直にクワガタムシは落ちてくる。クワガタムシは下に落ちると最初は動かず、おもむろにすばやく木の葉の下にもぐってしまうから、見張り役が目を凝らして捕まえなければならない。さらに行くと、背の低い松林があるが、ここにもたまにミヤマクワガタがいることがある。このようにしてすべてのポイントをチェックしたところには、天狗松とよばれる大きな松の木があって、私たちはそこで休憩した。天狗松のまわりは広々としている。また、天狗松は大きく幹がねじれていて、登って休むこともできる。そのまままっすぐ尾根を行くと、ひょうたん池に出るが、松林ばかりなので虫捕りには関係ない。天狗松で休憩すると、後は山を下ることとなる。下り道は競争で、みんなで一目散に駆けて下る。下りきった谷には溜池がある。そして田んぼの間の農道を歩いて児童公園に向かう。公園に駆け込んだころ、みんなも集まっていて、ラジオ体操が始まるのである。このようにして私たちの夏休みの一日が始まるのである。
 しかし、私が大人になって悲しいニュースを聞くことになった。私たちが行っていた山の山頂部の木がほとんどすべて伐採されて、果樹園になったというのである。それで、五十崎のぶどう狩りの話を聞くと、複雑な気持ちになるのである。悲しいことに、当時は里山という概念はなく、子どもがクワガタムシやカブトムシを捕まえるポイントを保護するという理由で、森林が守られるというような議論がされることはなかったのである。竜王山も竜王温泉と公園ができて、見栄えは良くなったが、里山としての機能はほとんどなくなってしまった。

 夏休みは、私は家の近くの小山のチェックをするが、高学年になると午後から遠征して、新たな狩場を開拓することがある。けんちゃんちの近くは深い森が多く、むしろクワガタムシなどは少なかった。とはいっても、一番人気のサムライがときおり捕れるので、無視もできない。そのころには、クヌギの木がある場所は、山の(葉の)色を見たらわかるようになっていた。またいろいろと他の人からうわさを聞き、狩場を探す。クヌギ林でオオスズメバチとの格闘したり、黒地坊で大きなヒラタクワガタと4時間も力比べをしたりしたこともある。そして、五十崎小学校の校区を制覇したら、次は隣りの天神小学校の校区にエリアを拡張した。しかし、天神にはそれほどいいポイントはなかったのである。
 そして、私たちは、小学校最後の夏、高森山への遠征を計画したのであった。高森山とは、五十崎町と内子町の境にあり、両町への電波を飛ばしているテレビアンテナが立っている展望の山(写真)である。以前、遠足で行ったこともあったが、虫捕りの山としては未知数であった。行動は原則として昼食をとってから夕方までの時間なので、遠征場所としては最も遠い山となる。
 けんちゃんと私たち5人は、夏休みも終わろうとする日の昼、天神へ渡る豊秋橋に集結した。橋を渡って天神の街を歩き、五十崎中学校の上のところから山に取り付く。しばらくは何もポイントのない天神の山を登っていく。稜線に出てから林道を歩きながら、クヌギの木を探してチェックしていく。しかし、クヌギはあっても、クワガタムシはバカばかりである。やがて、高森山の山頂に着く。そこまでの成果は、ノコギリのつがいだけであった。
 これから引き返しても、たいした成果は期待できないだろう。それで、私たちは、そのまま内子の知清へと下っていくことにした。全然、予想できない道だが、このまま帰るわけにも行かないのだ。しかし、内子までの道も相変わらず全然、ポイントは見つからなかった。やがて内子の街がすぐ眼下に広がり、今日の遠征も終わりに近づいてきた。あまりの結果の悪さに私たちはどっと疲れていていた。クヌギ林も、もうなさそうだ。
 しかし、大きなナラ林があった。一応クワガタムシのいる可能性はあるので、林に入っていった。太いナラの木が多く、オオクワガタなどもいる可能性のある林だったが、それらのほとんどは穴の中で、子どもが捕えることはなかった。ということで、みんな事務的に一応チェックしているだけである。
 そのとき、「おい、これはなんじゃ?」とけんちゃんが叫んだ。「クワガタだ!」「なに?」と振り向くと、彼の手には小さなクワガタムシがいた。小さなヒラタに思えた。しかし、そのクワガタムシを観察していたけんちゃんは、「きてみいや、これ、へんなクワガタや。」「なんぜ。」「どうしたん。」とみんなが集まってきた。クワガタムシの大あごは個体差があるので、新種ってことはまずない。しかし、そのクワガタは、写真のように大あごの形も独特だが、何より前ばねにはっきりとした筋があって、あきらかに今まで知っているクワガタムシとは違う。いろいろと議論したが、結局、新種のクワガタムシだということになった。それで、誰かがとりあえず、名前を付けようと言い出した。ノコギリクワガタのような体色に、ミヤマクワガタのようなはっきりととがった大あごをもっている。そして、前バネの筋は、ゴミムシのようだということで、けんちゃんは、「ミノゴクワガタではどうだ。」と言った。みんなも「それがいい」と同意した。その日は、他に収穫はほとんどなかったが、新しいクワガタをつかまえたことで、急に元気になって、急いで帰ったのであった。

 当時、いろいろな図鑑で調べたのだが、結局、そのクワガタは載っていなかった。それで、私たちは、ミノゴクワガタだという名前で呼ぶしかなかった。その後、ミノゴクワガタを探してナラ林を探し回ったが、一度もこのクワガタムシが見つかることはなかった。それで、私たちのクワガタムシ採集歴の中で、「幻のミノゴクワガタ」として、最も印象深いクワガタムシとなっているのであった。
 その後、大人をも巻き込んだクワガタムシブームがやってきて、さらに詳しいクワガタムシ専門の図鑑が編集されるようになってきた。それで調べると、そのクワガタムシは、「ネブトクワガタ」であることが判明した。しかし、あのときいたメンバーの何人かは、今でもミノゴクワガタという名前しか知らないのかも知れない。