ツクツクボウシCは、セミとり少年としての技量の指標となる、捕るのがむずかしいセミである。小さくすばしっこいこのセミをゲットするには、高度な技術と精神力が必要なのである。このセミ捕りから、セミ捕りの三つのポイントがあることを知ったのだった。
一つめは、軽く小さなセミとり専用の網を用意することである。特にツクツクボウシは、細い枝にとまることが多い上に小回りがきくので、市販の大きな虫取り網では、すきまからにげられてしまう。そこで私たちは、試行錯誤の後にセミとり専用の網を開発した。ちなみに私たちの道具は、基本的にはい品利用である。まず、ビニール袋と針金と細長い竹(3m以上)をひろってくる。次に、ビニール袋に針金をさして、波ぬいの要領で、セミより少し大きいくらいの輪になるように枠を作る。はみ出た部分はおりかえして、竹にさし入れると完成である。ビニール袋は柔らかめがいいが、すぐに形が崩れるものではいけない。深さは25cmくらいか。網ができたら、いよいよセミとりである。まず、鳴いているツクツクボウシの位置を目で確認する。必要に応じて、あみのわくを変形させて、枝に合わせてできるだけすきまのできないような形にする。
第二のポイントは、セミに近づくタイミングである。ツクツクボウシは、警戒心が強く、近づく音やまわりのものの動きにびん感である。鳴いているオスのセミをとりやすいのは、鳴くことに夢中になっているときである。ツクツクボウシでは、それが特にシビアである。
さて、ツクツクボウシは、セミの中で最も高度な鳴き声の持ち主である。このセミの鳴き声は、低い音で「ジー」という音から始まる。そして音がぐっと高くなって、息をつくような休ふの後、「オーシン」さらに「ツクツク」が続きます。そして、「オーシン・ツクツク」のくり返しとなります。そのうちそのくりかえしの周期が早くなると、鳴きは終わりに近づく。最後は、高い声で「ツクリーヨ」を二〜三回くりかえして「ジー」で終わる。
この鳴き声の変化が、重要なポイントとなるのである。近寄ったりあみを近づける時は、調子よく「オーシン・ツクツク」をくり返しているときである。その他のときは、すぐに飛んで逃げてしまう。繰り返しの途中でも、変な動きをすると、危険を察知して、鳴き声のリズムがくるったり「オヨヨヨ」といった鳴き声に変わります。このときは、いったん静止して、次のくり返しまで待つ。音で「だるまさんが転んだ」をやっているような感じである。
そして三つめのポイントは、正確にセミにあみをかぶせるということである。長く、枠の小さなあみを、正確でむだな動きをしないようにあつかうのは、かなりの技術が必要である。まして、静止しているときも、そのままあみを動かしてはいけない。ツクツクボウシは、運良くあみに入っても、はげしく飛びまわり、逃げられることも多いので、すぐに地面にあみをふせる。このような努力の末に網の中で、電子音のような鳴きとともに押さえ込むことができたときの喜びは今でも覚えている。このように高度な慎重さと、我慢強さ、さらに腕力が必要なために、グループでツクツクボウシ捕りを任せられるということは、とても名誉なことであった。セミの中で最も慎重で軽快に逃げて捕るのが難しいツクツクボウシで、セミ捕りの腕を磨いたことで、私たちは、ほとんどのセミ捕りで見つけさえするば苦労することはなかった。
クマゼミBは、西日本以南にいる最大のセミである。現在、地球温暖化とともに日本列島を北上しながら、増えつつある。ばかでかい声で、「シャアシャア」と鋭く鳴く。当時は、たまに人家近くにたまに現れて、かなり高い木の上で鳴くので、滅多に捕まえることができなかった。しかし、クマゼミは、あまり活動しない時に集団で木に集まるという習性がある。私は、セミの鳴き声を追って里山を駆け回り、山中にその木を見つけたのだった。その太い幹を見上げると、数十匹のクマゼミがずらりととまっている。クマゼミは、手にとって見ると、名前のように真っ黒だが、細かい毛のようなものが体中にある。そのせいで木にとまっているものは、光の具合によっては金色に輝いて見える。私がこの木を見つけた時、木にとまっている金色のクマゼミ群の美しさに息をのんだことを覚えている。けんちゃんにもこのポイントを教えたのだが、けんちゃんも感嘆の声を上げていた。そしてクマゼミを次から次へととりまくったのだった。
さて、私は、小学校最後の夏に、鳴き声で判別できるセミの昆虫採集を計画した。ニイニイゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ、そしてクマゼミは、オス・メスともに計画通り標本にすることができた。そして、計画では、残るはヒグラシとミンミンゼミとなった。しかしこの二種のセミの採集が思うようにいかなかったのである。
ヒグラシDは、夏の終わりの明け方や夕方に、カナカナと風情のあるよく反響する声で鳴く小型のセミである。暑さと明るさが苦手なので、夏の終わりに森の中で鳴く。遠くでその鳴き声が聞こえると、鳴き声の聞こえる方へ一目散に走っていく。しかし、薄暗いうえに木の上の高い所で鳴くために、その鳴いている姿さえもほとんど見ることが出来ないし、網がとどかない。たとえ見つけても、一カ所で鳴いている時間も短く、尻すぼみ型の鳴き声なので、すぐに飛んで逃げてしまう。結局、けんちゃんに相談してみた。すると、けんちゃんは、「なんやヒグラシか。あんなもんうちの近くでなんぼでもとれるぜ。」と言う。ほらを吹くタイプではないけんちゃんだが、私はそれまでにヒグラシ捕りで散々苦労していたので、このときは彼を疑ってしまった。でも、話半分でも捕れる可能性はあるから、けんちゃんちに行ってみることにした。
途中、長い竹と針金とお菓子の袋を拾って、準備は万端だ。しかし、けんちゃんはその装備を見て、「ヒグラシは手でいくらでもとれるけん、入れもんだけあったらえんよ。」と言う。正直、私には信じられない言葉だった。けんちゃんちの前の小川を渡って、松林を登るとすぐに「ここからや」とけんちゃんは言った。まわりの木々を目をこらして見るが、セミの姿は目に入らない。するとけんちゃんは、「上じゃない。下をよく見て」と言う。下草は、まばらにシダが生えている。何でこんなとこに?と思った瞬間、ジジジジ、バタバタと、そのシダの茂みに何かが動いた。「それ、ヒグラシじゃ。」とけんちゃんが言う。確かにセミのようでもある。茂みの中でもがくセミは、簡単に手づかみで捕まえられた。捕ってみるとまさに、おなかがオレンジっぽい黄緑色のヒグラシである。それからはすごかった。道を歩くとその音に驚いたヒグラシが右から左から飛び出してくる。ヒグラシは、昼間はこのあたりの木の根元で、休んでいたのである。あっという間に10匹近く採集した。このときばかりは、「もういいか?」と言うけんちゃんの背に私は後光を見たのであった。
最後に残ったのが、ミンミンゼミEであった。このセミは、人家近くにはいない。夏休みの後半に山を歩くと、あちこちで鳴いているのが確認できる。鳴き声をたどってみると、大型のセミなので、その姿を見つけることも簡単にできた。だから、そのうち捕まえることができるだろうとたかをくっていた。しかしそうはいかなかった。雑木林の中にいるので、近寄るとまわりの木々を動かしてしまうし、細い枝先にとまっているので網をかけづらい。鳴き声も「ミーンミンミンミンミンミンミー」とフレーズが短く、その間に危機を察したら逃げてしまうのである。道なき道をミンミンゼミの姿を追って駆け回る日々が続いた。そして、夏休みの残りはあと数日になってしまった。途中から一緒に山を駆け回ってくれたけんちゃんもこれは無理だとあきらめかげんである。あざ笑うかのように行く先に先に聞こえるミンミンゼミの鳴き声を聞きながら、かなり悲観的になっていた。
そんなある日、その日も収穫なしで、肩を落としてとぼとぼと山を下っていた。麓の人家近くにある倉庫の横の森の下を歩いていた時、けんちゃんが叫んだ。「あれはなんじゃ」「どれ」「あれ、セミとちがうんか」「大きいし、はねも透明だし、大きいから...」「クマかミンミンだ!」
二人はすぐにセミ捕りモードになった。音を立てないようにそっと、その森に入っていく。近づいて見ると、ミンミンゼミのような気がしてきた。このチャンスに私はけんちゃんの網さばきに運命を預けた。こんな時のけんちゃんは、ネズミを捕る猫のように慎重で頼もしい。そして、正確に網はそのセミの影に伸びていき、見事にそのセミを覆ったのである。そして、今までにない軽快な悲鳴鳴きがした。網に突っ込んだ手に握られたセミを見て私たちはおどりあがった。緑色の大型セミ、まさしくミンミンゼミであった。これで、とりあえず全種類そろったと私は安心した。
ところが、さらにけんちゃんは、小声で叫んだ。「見てみいや」けんちゃんが指さす方を見ると、この薄暗い森の木々にここから見るだけでも3〜4匹のセミの影があった。この森はミンミンゼミの休憩場だったのだ。それから私たちは、慎重に慎重に今までのセミ捕り技術を駆使して、三匹のミンミンゼミを捕まえることができたのであった。これにて、私の夏休みの昆虫採集、セミコレクションは完成したのであった。
その後、このミンミンゼミのポイントであるその森のことは、二人とも絶対に人に語ることはなかった。それから数年たつと、昔はほとんどいなかったはずのツクツクボウシとヒグラシが、私の家の周辺の木々でうるさいぐらい鳴くようになった。そう、おそらくこれこそ私たちのセミ捕りの結果であろう。セミは数年、地下で過ごして成虫になる。時を越えて実ったこの成果にあのころの記憶がよみがえったものである。