野山にはごちそうがいっぱい    けんちゃん 10月

 私が小学生のころは、お菓子など買ってもらうことはほとんどなかった。たまに日に10円〜50円ほどの小遣いをもらう子がいて、その子達と遊ぶときには分け前をいただくこともあった。しかし、普通はおやつは自分たちで確保するのである。幸いなことに私の家の庭には、実のなる木が多く植えられていた。一般に庭に甘い実のなる木は植えない。それは、実が落ちて腐るので掃除が大変だったり、ハチなどの虫が集まってきたりして危険だからである。でも、私の祖父は、孫のために..という理由で、多くの果実のなる木を植えてくれていたのである。祖父は、私が生まれる前に亡くなったので、直接見たことはないが、この木々のおかげでとても感謝している。びわ、柿(甘柿から干し柿用のでっかい渋柿まで)、すもも、サクランボ、ナツメ、イチジク、グミ、ザクロなど、冬以外は何か実がなっていて、それがおやつになった。それでも、まだまだ野山には、多くの天然のおやつがあった。それを季節を追って紹介しよう。

 春になると、いろいろな山菜が芽を出す。まずは、土手に生えるつくしや、林の中に生えるわらびやぜんまいをとるのが、春を迎えた子どもの仕事であった。しかし、母は喜ぶこの山菜も、子どもにとってはそんなに魅力ある食べ物ではなかった。何よりその場で食べられないという大きな欠点があるが、その味も子どもの味覚としては、魅力的なものではなかった。
 しかし、すぐに食べられるてごろな春の山菜があった。それが、写真のイタドリである。私たちはスイコンボと呼んでいたが、場所によってはスカンポなどとも呼ばれる。いろんな所に生えているが、おいしいイタドリのありかは、けんちゃんのように山を知りつくした子しか知らないのである。また、イタドリに限ったことではないが、人にわかりにくい秘密のありかは、よほど信用できる友だち以外には教えなかった。
 普通のイタドリは、硬かったり、苦みがあったりしていて、それほどおいしくない。いいイタドリは、鮮やかな色をしていて、丸々と太った節の間が長い。折るとカポンといい音する。そして、折ったところから皮をはいでかぶりつく。サクッという食感で、みずみずしくて酸っぱい独特の味が口の中に広がる。塩を少々かけるとさらにおいしい。食べ過ぎると体には良くないそうだが、一所においしいイタドリがたくさんあるわけではないので、それでおなかを壊した人を見たことはない。食べ飽きると、ぶつ切りにしたイタドリの筒の両はしに切れ目をいくつか入れて、水につける。すると、お弁当のウインナーのようにそる。その形がおもしろいし、それを水車にして遊ぶということもできる。

 夏も近づいてきたころ、私はけんちゃんから新しい天然の味覚を教えてもらった。それが桑の実である。当時はカイコを飼っている農家が多かったので、山のあちこちにくわの木が植えられていた。初夏になると、その桑の木には、小指の先くらいの大きさで赤紫から真っ黒の小さな実が、写真のようにできるのである。けんちゃんは、それが食べられると言う。かなり小さなブドウのような実ではあるが、視覚的にはそんなにおいしいという感じではない。おそるおそる口に入れると、けっこう甘くておいしい。野いちごよりも酸味が少なく、むしろ食べやすい。でも、一つだけ注意することがあるのである。そのうち、私を見て、けんちゃんが笑い出した。そのけんちゃんを見て、私も笑い出した。口の中がぜんぶ赤紫色なのである。手をみると、桑の実をつまんでいた指も真っ赤である。そう、桑の実の色素が強力なので、服などにつかないように気をつける必要があるのだった。だから、桑の実を食べるとすぐにわかる。といっても、桑の木は実を採るために植えられているわけではないので、しかられることもない。また、蚕に食べさせるために栽培しているので、農薬の心配もほとんどない。私たちは口と手を真っ赤にして、目の前に広がる桑畑を蝶のように木から木へと移りながら桑の実を食べるのであった。これは、最も楽な初夏の野山の楽しみのとなった。

 そして、みのりの秋となる。といっても、けんちゃんと知りあうまでは、庭の果実と神社のシイの実をとって食べるくらいだった。けんちゃんは、私がまだ知らないいろいろな秋の味覚を私に教えてくれたのであった。
 まずはくるみである。くるみの木は沢筋に多い。けんちゃんちのそばの沢を登って行くと、やがて、「あれがくるみだ。」と言って、けんちゃんが指さす。そちらを見上げると、図のようにずらりと黄緑色の実がたくさんなっている。私たちは、それをたたき落とす。大きさといい色といい、梅のようなその実の皮をはぐと、一般に見かけるあのくるみが出てくる。でも、ここでも注意が必要だ。このとき手に汁がつくと、しばらくして真っ黒になるのである。けんちゃんは、実を谷川につけて、石を使って器用に洗い流しながら皮をとっていく。私も見よう見まねで皮はぎをしたが、けっこう真っ黒な手となってしまった。こうやって採ったくるみでポケットがいっぱいになると、けんちゃんち戻った。そして、たき火で焼いて食べる。熱がとおるとじわっと油分がにじんできて、くるみは二つに割れる。それをほじるようにして実をとり、口に入れる。甘みはほとんどないので、正直そんなにおいしいとは思わなかった。でも、次の日、学校に持っていって見せると、他の子はとてもうらやましがるのであった。
 またある日は、山の奥のやぶに入っていった。そして、「ぶどうだ。」と言うので見ると、ちっちゃなつぶのぶどうのようなものがあった。山ぶどうである。食べてみると酸っぱい。それに粒も小さい。これは、普通のぶどうを食べなれている私には不満で、「もっとあまいやつはないの?」と、けんちゃんに不満をもらす。すると、けんちゃんは何かひらめいたようで、さらに奥に入っていった。
 しばらくすると、「あった。」と言う声がした。そして、なにやらサツマイモみたいなものを握っている。そして、「これが、あけびや。」と言う。私は、名前も聞いたことがない木の実だった。それは、手のひらにすっぽり収まるほどの大きさで、たてに割れている。「これはあまいぜ。」と言って、けんちゃんが手渡したあけびを観察する。割れているところの中をのぞくと、白いひょろ長いものがある。そこを食べるんだと言われて口に入れる。とても甘い。私がそれまで食べた木の実の中でも、もっとも甘いといえる。ただ、かなり種があるので、食べるというよりは、甘さを味わったあと、ほとんど種といっしょにはき出すという感じだ。そのうち、マシンガンのように種をとばすのが楽しくなってきた。スイカの種よりも丸くてつるつるしているので、プププと連射できるからである。
 けんちゃんは、他にもいろいろと、秋の野山で口に入るものを教えてくれた。次の11月では、さらにマニアックな秋から冬にかけての山の幸を紹介する。