鳥のガムはどんな味?    けんちゃん 11月

晩秋から冬にかけては、紅葉や葉を落とした雑木林はなかなか風情あるものだが、そんなものに良さを感じるのは、人生も後半になってからのことであろう。そんな季節でも、けんちゃんはいろいろと私に新たな秋の野山で口に入る山の幸を教えてくれた。今回はその中でも、ちょっと変わった山の幸を紹介する。

 父が好きなので、けんちゃんに、まつたけはどこかないかと聞いたことがある。これは、けんちゃんにとっても難しかったが、一カ所だけ心当たりのある山があるという。さすがけんちゃんである。今でこそマツタケ山は、厳しい管理のもと立ち入ることはできないが、当時はけっこう松の木林があったので、五十崎でもマツタケがりに行く人がいた。こんどは、けんちゃんちから遠く離れた天神の松林に連れて行かれた。そのとき初めて、松とは言っても赤松の林だけにマツタケがあることを知った。それに、けんちゃんは、松の木の根元の土を臭いながら探していく。しかし、一日探しても小指くらいのを一本みつけるくらいであった。そんな、成果のほとんどない山遊びもたまにはあったのである。

 ある日、けんちゃんは、秘密の木を教えてやると言って、私を山に連れて行った。山道から少し藪こきをしていき、けんちゃんは一本の小木の前で立ち止まった。そして、自慢げに、これが秘密の木だと教えてくれた。その木は、ニッケイであった。シナモンともよばれ、ハッカ臭のる香木である。けんちゃんは、その木の根のあたりを掘って、「かいでみいや。」と言う。独特なにおいと味であったが、その時の私には、このニッケイのにおいは好きではなかった。「すごいじゃろ。」と、得意満面のけんちゃんに、私は、さめた笑いを返したのだったのである。

 さて、またある日、けんちゃんは、「今日は山にガムを採りに行こう!」と私をさそった。「そんなもんあるわけないだろ。」と言うと、「ちゃんとあるんだ。」と自信たっぷりだ。
 山に入って、葉の落ちた林の森を少し行くと、けんちゃんは、「あれだ。」と言って、大きな木を指さした。写真のように、その大きな木には、ところどころに鳥の巣のような丸い茂みがあった。「何かの鳥の巣だろう。」と言うと、けんちゃんは、「これがガムの木だ。」と言う。そして、その木にするすると登っていった。かなり高い木だったが、よく見ると、その木は、木の幹から生えているようだった。そして、オレンジ色の小粒の実がたくさんなっていた。けんちゃんは、実のついた枝をいくつか折って、下に落とした。この木は、ヤドリギである。寄生植物であるがちゃんと自分で光合成をしている。
 けんちゃんのすすめるこの実をかむと、ちょっとだけ甘い汁が出た。ゼリーのような果肉をそのままかんでいると、ガムに似た粘っこいかたまりが口に残った。いくつか食べると消しゴムくらいの大きさになりかみごたえもある。なるほど、これはガムには違いない。しかし、かみごたえこそガムだが、味はほとんどなくあまりおいしいものではない。もちろん、当時はやっていた風船ガムのようにふくらんだりはしない。けんちゃんは得意になっていたが、正直、私はあまりおもしろいとは感じなかった。

 そして、ある日、けんちゃんは、「山に芋掘りに行こう。」と言い出した。私は、「山の中に何でイモがあるの?」と疑問に思ったが、けんちゃんは張り切っている。雑木林をさすらうこと30分で、けんちゃんは、つるについたひょろ長いハート形の黄色い葉を見つけた。「これがヤマノイモじゃ。」とけんちゃんは喜ぶが、私は、「ほんとにこれがイモなん?」と言い返した。すると、けんちゃんはそのつるの上の方に手を伸ばして何かをつかんで、「これ食ってみいや。」と差し出した。その手には、ちっちゃな丸いものがあった。色は薄茶色で、何か動物のふんか泥だんごみたいだ。食べられるとは思えない。しかし、あまりにけんちゃんがすすめるので、口に入れる。なるほど、かむとそれは、とろろイモであった。「これは、ムカゴというてヤマノイモの実なんじゃ。」と、けんちゃんは自慢げに言うが、私はあまりとろろイモが好きではなかったので、苦笑しただけだった。
 そのあたりは、そのつるが何本も地面から出ていた。「さぁ掘るぞ」とけんちゃんは、そのつるの根を掘りだした。掘る道具なんかない。その辺の木切れを拾ってきて掘るのだ。掘っても掘ってもいもらしきものはでてこない。そのうち日も傾き、山の中は薄暗くなってきた。でも、「もうちょっとだ。」と言って、けんちゃんは掘り進める。深さ1mほども掘って、やっとイモらしきものが出てきた。5本ほど掘り出したときは、もう薄暗くなっていた。分け前のイモを2本渡されて帰途についたときは、日も落ちかけていT。
 たいしておいしくもない、こんなイモのためにこんなに遅くなってしまった。わたしは、一目散に走って家に帰った。やはり、家に帰ったときは、外は真っ暗になっていた。母の鬼のような顔を想像して家に入った。
 予想通りにらむ母に、「これ、ヤマイモ掘りよったけん、おそうなってしもた。」と、空しいいいわけをする。そして、まさに母の怒りの雷が落ちそうになったとき、突然父がどかどかと近づいてきた。「わぁー、父ちゃんも怒ったぁ...。」と、半泣きになる私に、父は言った。「ヤマイモか!見せてみい。ほぉー、これはなかなかりっぱな自然薯(じねんじょ)じゃ。こいつを掘るのはたいへんじゃったじゃろ。」
 父に自然薯を渡すと、父はうれしそうに洗って、さっそくすり鉢ですり始めた。私の父は、母や子どもたちと食卓を囲まない。一人だけ隣の部屋に専用の机と長火鉢を置いて、他の家族に背を向けて食事をする。顔が見えないので、とても怖い。ところがその日は、楽しそうにイモをすって、それをすすっている。その踊っている背中を見て、母もうれしそうだ。叱られるのを覚悟していただけに、私も気が抜けて、なんだか涙が出てきた。そして、得意気なけんちゃんの顔を思い出していたのであった。