内容編集中! しばらくお待ちください お祭り 20年の変遷
(平成元年6月改)
私がはじめて三崎町に赴任してきた20年前の秋祭りといえば、各部落で子どもがかかわる特徴のある内容がありました。
二名津の祭りの中心は唐獅子と子ども相撲です。唐獅子は子どもの愛らしさを強調した中学年の舞いで、原点は川之浜唐獅子ですが、子ども四人で踊るオリジナルの舞い(写真)が加わっています。実は私も声をかけられ一般家庭用の「村太鼓」だけなら出来るだろうと特訓して獅子に挑戦してみました。しかし見るのとやるのとは大きな違いで、事後に生徒に感想を聞くとしんどそうだったと一言。当初は三崎と同じ日だったのですが、今は人が集まり安い週末なりました。女の子を乗せて四つ太鼓も復活させたり地区対抗綱引きなどをしたりしたこともあり、子ども専用の赤べこを作ったりなどさまざまな工夫をしています。近年は唐獅子が明神地区へも遠征していて、大変喜ばれているようです。
井野浦や大佐田などの南部地区でも連合の唐獅子があったそうで、その道具は町見郷土館に保管されているそうです。
今でこそ子どもの出番のない西部地区の例祭も、私が串中に勤めていたころはいろいろ子どもが関わっていました。串保育所の子ども神輿に小中学生の速水太鼓、さらに有志の村芝居なんかもやっていてにぎやかでした。昨年、石松役の方と話す機会があり当時の話を聞かせていただきました。正野部落でも夏に野坂神社の例祭があり、豊漁祭として学校も密接に関わっていました。多くの出店もあり、正野小学校のところてんは好評でしたが、近年はほとんど神事だけの寂しい夏祭りとなってしまいました。
三崎は牛鬼と四つ太鼓の練りが有名ですが、四つ太鼓に乗る西の小学生だけでなく児童生徒が関わる東の相撲甚句、西の五つ鹿、そして浦安の舞があり、今でも祭りの二日間は夜通しでその音や声が聞こえます。わらび座が公演したときの交流で、座員にソーラン節を教えていただいたお礼に三崎代表で披露したのが相撲甚句だったのが印象的でした。虫送りも昔は三崎の子ども行事だったそうです。
名取では昨年まで子ども神輿が続けられていました。子どもがわずかなのですが、縁のある子どもたちが20名ほど大集結していていました。
伝え聞いた話だと平礒や釜木あたりでも牛鬼が急な石坂を上り下りしていたそうで、最盛期には釜木の秋祭りには子どもが担ぐものも含め牛鬼が七匹も練り歩いていたこともあるそうです。
少子化や年齢構成が急速に変わり、各部落の役員や青年団、振興会、郷友会などは暗中模索で祭りを運用しているようです。出番のなくなった地区の子どもたちのことも気がかりですが、学校ではできない子どもたちの成長の場であることは確かなようです。これからも地域の例祭がよりよい活動となるよう、全ての住民が支え合っていってほしいと思います。