内容編集中! しばらくお待ちください 亥の子の季節
(令和元年6月改)
「亥の子」とは、西日本で広く行われている楽しい子ども行事です。
旧暦10月の亥の日に石や木、わらたばを玄関前でたたきながら、亥の子唄を歌ってお金やおかしをもらいます。今年は11月15日が一番亥の子、27日が2番亥の子になります。
旧三崎町でも、正野(〜H15)、与侈(〜H23)、名取(〜H22)、明神、釜木で行われた記録がありますが、今は途絶えてしまいました。写真は正野のお鼻の亥の子の様子です。正野の亥の子数え唄は以下の通りです。
えードーンと一つ 祝いましょう。
亥の子の舞いはガーラガラ
金の恵比寿は、福の神。大大黒という人は
一で俵ふんまえて、二でにっこり笑ろうて
三で酒つくって、四で世の中良いように
五ついつものごとくなれ、六つ無病息災に
七つ何ごとないように、八つ屋敷をふみ揃え
九つ小蔵を建てならべ、十でとっくり収めた
この家繁盛せい、だんな大黒、かみさん恵比寿
できる子どもは福の神、ここのだんなは
金持ちじゃ 西や東に蔵建てて 大阪上りで フーントセー
私も亥の子はお小遣いやお菓子をもらえるので1年間で最も待ち遠しい行事でした。でも後になってこの亥の子唄の内容を考えてみると、平常平凡に生きることへの感謝と願いが強く感じられます。これが自然災害の多い日本の風土に根づく謙虚な幸福感の現れではないでしょうか。
さて、子ども行事として亥の子を考えると、この行事の目的は子どもたちの自治組織の育成だったように思えます。昔はたたき方や声の大きさで祝儀も異り、事後も子どもの反省会で貢献度に応じて祝儀の分配を行っていました。子どもの目はシビアなので必死で声を張り上げ元気に亥の子つきをやったものです。そして気分を盛り上げてより多くの祝儀を集めみんなが納得するよう分配するこの経験で、リーダー性が育っていた記憶があります。しかし、近年は大人が平等に祝儀を分配するような行事のための行事が多く、気の抜けたような亥の子行事も見られるようになり、その意味を考えさせられてしまいます。
さて、亥の子は十までの数え唄で終わるのが普通なのですが、伊方町内でも名取(写真)と河内の亥の子唄には独特な後唄があり興味深い内容になっています。名取の後唄は、
「釜木やよカニのウドよ ヨイヨイ 神崎よ出鼻 アラヨーイセ ハーリセ 田部は八幡 夜やんで鬼地獄」
といった他の地域をちゃかす内容もある面白い亥の子唄です。でも、通すとかなり長い亥の子唄を覚えるのは大変だったと思います。
なお、正野と名取の亥の子については、当時の中学生が撮った動画が残っています。与侈と釜木の亥の子唄も記録がありますので、興味のある方はご一報ください。