内容編集中! しばらくお待ちください 赤道調査隊出動
(令和元年6年5月改)
自然との接する最もいい方法は、私は単純に野山や海岸を歩くことだと思っています。お薦めは赤道散策です。赤道とは集落と集落をつなぐ生活道のことです。メロディーラインを歩く活動がさかんですが、私には固いアスファルトの車道は、自然との疎外感があるばかりでなく膝や腰を痛めるリスクが大きく、できれば避けたいところです。その点赤道では、多くの人に歩かれた土や草の道は、季節の移り変わりや動植物とのふれあいも密接で、全身運動の充実感あふれる散策ができます。
今回は三崎地区の人々が歴史的に歩きつないできた赤道と巡礼道を紹介します。昔の子どもたちはこれらの赤道を通学路として日常的に利用していました。今ではほとんど使用されなくなった赤道ですが、二名津の小中学校ではこれらの自然路の調査や自然観察を行ってきました。そこで気づいたのが、スポーツは得意なのに自然路の活動ではまったくさえない子どもが多くいたことです。平らな地面が前提の生活が原因だろうと思われます。そういえば昔は石のゴロゴロある河原を全力で走れる子どもは普通でしたが、今では全く見かけません。毎日の赤道通学はきわめて自然に運動能力を向上させていたわけです。そのせいか、昔は何でもなかったのに、危険を感じて取りやめる活動がこの数年多くなりました。これも自然の中での活動が減少した結果なのかも知れません。
さて、三崎の中で最もハードな赤道は、松と三崎を結ぶ「つん越え道」です。伽藍山の東の尾根越えは距離も高低差も半端じゃなく今の子どもなら大仕事でしょう。しかし、宇都宮誠集はこの道を毎日通勤で往復していたのですから昔の人の健脚には驚かされます。峠にはつん越え様を祀るお堂もあって、松のお年寄りに聞くとアイスを買ってとける前に三崎から松に帰ってきたなどの武勇伝が残ります。
平成13年の大雪では先生が来れずに休校になったので、名取の生徒を先導して深いところは腰ほどにもなる雪の大谷越え道を名取に送りました。その帰りはせっかくだからと釜木道を下り、釜木から平礒を越えて二名津に帰りました。このときの神松名の雪景色はとても思い出に残っています。誰も歩いてない雪道に足跡をつけるのは楽しいですからね。
日本全国、特に四国の多くの集落にはミニ四国八十八ヶ所巡礼路があります。大島の島四国や八幡浜お四国山など有名ですが、三崎地区にも個性的な巡礼路が点在しています。半島を横断する長大な鼻四国などもあります。
二名津の金比羅山のミニ四国は急げば三十分で回れる手頃な巡礼路で、新校舎建造中に二名津にいた三崎と二名津の合同で巡礼路のクエストを企画しました。逆打ちで巡ると手頃な岩場(写真)、夏は虫取りに最適な雑木林、快適な尾根道、宗教史蹟、最後には落ち葉の旧坂を転げ落ちるように下るポイントもあって楽しい自然散策活動になりました。
伽藍山にも昔は草すべり場や体験農場周辺には伽藍十景という自然を楽しむ場がありました。今は森に埋もれて「釈迦ノ洞」「信ヶ洞」「子安大師」「覗き岩」「オチリ水」くらいしか確認できなくなってしまいました。
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