三崎地域の概要 

 日本最大の活断層:中央構造線の活動でできた日本一細長い佐田岬半島。その先端にある四国の最西端の地域が伊方町三崎地区です。


 愛媛県 西宇和郡伊方町 三崎地区(旧三崎町)

  位置 :北緯33度23分,東経132度07分(旧三崎町役場:現総合支所)  面積 :33.62平方キロメートル

  世帯数:1673戸  人口 :4060人 (男1889人,女2171人)  H16.3.31(三崎町最終日)

 三崎地域の集落の概要 <見所>

釜木地区 ・・・・・・ 青石が美しい海辺の集落<子安観音>

平礒地区 ・・・・・・ 徹底した晩柑栽培のすすんだ集落<組頭屋敷と水底線陸揚室跡>

二名津地区 ・・・・ 旧神松名村の中心集落<のろし場跡,お伊勢踊り,生目神社祭>

名取地区 ・・・・・・ 宮城県名取の人が移り住んだ集落<梶谷鼻,青石貫入大理石の石垣,廻国満願供養塔,金比羅大権現の灯籠>

明神地区 ・・・・・・ 南の明神と北の泊の二つの集落がある石垣の美しい集落<薬師堂(竜王)>

松地区 ・・・・・・・・ 海岸段丘の上に広がる集落<宇都宮誠集生誕地,もうな行事>

三崎地区 ・・・・・・ 三崎湾に奥に位置する地域の中心集落<傳宗寺,八幡神社例祭(牛鬼と四つ太鼓の練り),高神祭(土居城跡),坊山の五輪塔他>

高浦地区 ・・・・・・ 銅鉱山で栄えた集落

佐田地区 ・・・・・・ 三崎でも最も早く開け御番所があった、佐田岬の名の由来となったとされる集落

大佐田地区 ・・・・ 美しい船蔵群の並ぶ集落。<松森城跡、民俗資料館(裂き織りの拠点:オリコの里)>

井野浦地区 ・・・・ 南部の端の農漁村の集落<ムーンビーチ井野浦,阿弥陀池と石垣畑,長浜,童子碆,三崎精錬所跡>

与侈地区 ・・・・・・ 昔、松の人が移り住んだという漁業が中心の集落

串地区 ・・・・・・・・ 海士(あまし)の集落<佐田岬漁港,鯨塚,宝筐印塔>

正野地区 ・・・・・・ 唯一の集落が散在する地区<佐田岬灯台,豊予要塞跡,野坂神社,野坂の石垣>


  三崎地域の主な歴史

 江戸時代 宇和島藩の三崎浦(串浦,松浦,三崎本浦,井野浦,大佐田,佐田,高浦,明神,二間津,平礒,名取,田部,高茂,大久)  三机浦(釜木)  
              元禄9年の三崎浦の石高:1055石  元禄9年の三崎浦の人口:2620人(448戸)
 明治初年の戸数(戸) 三崎(281) 名取(211) 松(182) 二名津(175) 串(77) 明神(75) 佐田(58) 大佐田(57)  正野(57) 与侈(55) 高浦(47) 井野浦(45) 平礒(41)
 明治21年 三崎村(正野・串・与侈・三崎・高浦・佐田・大佐田・井野浦) 神松名村(二名津・明神・松・名取・平礒・釜木)の誕生
 昭和30年 三崎村と神松名村が合併し三崎町が誕生    昭和44年 九四国道フェリーの就航   昭和62年 メロディーライン全線開通
 平成17年 三崎町と瀬戸町と伊方町が合併して新たな伊方町が誕生


    踏査地図(伍助会の実地調査の軌跡)
 
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