八 軒 家

 まだ祖父がうまれていない頃、二名津には家が八軒しかなく、「八軒屋」と呼んいたそうです。
その家があった場所は詳しくは分らないそうですが、西の方だということです。
今から考えると、家が八軒しかなかったなんて、想像がつきません。

 それからたくさんの家が建てられ、「堀内」という名字もできました。
「堀内」という名字がどうしてついたのか、これも詳しくは分りません。
昔は村の中にあるから「中村」とか、山と田に囲まれているから「山田」などと名字をつけたんだそうです。
だから堀内という名字も、堀の内側にあったからつけたのかもしれないということでした。


  出典:二名津中学校「郷土の昔話」・・・平成3年度 堀内長一(二名津78歳)伝,編集:なほさん(5117)