二名津の昔の生活
昔はのう、貧しくての、お米なんぞ正月や盆にしか食べんかったがよ。
男衆は網を引いて魚を採ったりしての。女衆は百姓して、あわやたかきびを作りよったが。
子供らも今みたいに少なくてな。一つの家庭に兄弟が九人、十人ゆうておって。
女の子は子守、男の子は手伝いしての。今の子供みたいに勉強ばかりせんかった。
遊びゆうたら、駒回しや凧あげして遊んでは、夕方になるとの、半鐘(はんしょう)が鳴った。
その鐘(かね)がなったゆうち、帰りよったもんよ。
お宮の山を天神山ゆうて、しいの実を採りに行ったりして、まあ、昔は楽しかったもんよ。
昔はのう、村の真ん中の道路が川じゃったのう。
名取に行く道は、今とは反対に川の右に道があったがよ。
農協の所は埋め立てでの。新田ゆうて、ようそこで遊ぼったがよ。
氏神様の春と秋の祭りはのう、青年団がやっとての、仮装しよったりしたもんよ。
昔はのう、にぎやかで活気があったわい。
出典:二名津中学校「郷土の昔話」・・・平成3年度 若宮ハツ(二名津80歳)伝,取材:(4607),編集:(5411)
祖母の時代は食べる物があまりなく、祖母の家は漁師をしていたそうで、いつも麦のごはんと魚だったそうです。
今では、いつも食べている肉もあまり食べられなくて、食べるといえば、お正月くらいだったそうです。
昔はにわとりを自分でさばいて、料理して食べていたそうです。
出典:二名津中学校「郷土の昔話」・・・平成年度 梶原富代(二名津68歳)伝,取材:(4701),編集:(5406)