名取の昔の出来事
今の名取は一つの部落としてありますが、昔の名取は三つの部落に別れていたそうです。
だから、お宮も一つの部落に一つずつ、合計三つあったそうです。
一つは「くろち」にあり、一つは「宮」という所の下に、一つは「じゃしき」という所にあったそうです。
しかし、風が強いために、三つの部落を一つにまとめて、今のようになったそうです。
今の名取は、峯、岡、里の3つに区切られています。
出典:二名津中学校「郷土の昔話」・・・平成年3度 西谷リュウ(名取68歳)伝,取材(4608),編集:(5414)
名取に電気がきたのは、大正11年だそうです。
会社名はよく分からないけど、野村電力からです。
けれど、電線は野村電力がお金を出してつくったのではなく、名取の人達だけで電柱を建てたり電線を引いたりしたそうです。
みんなは、満場一致で電気をとることに賛成したそうです。
電気をとるまでは「かんちょろ」というランプのようなもので夜は明かりをとっていました。
その燃料は灯油で、細かい缶の口をあけて、その中に灯油をいれました。
芯をいれると芯が灯油を吸い、そこに火をつけると燃えるという原理でした。
広間などでは、缶をつぼにしていたそうです。
出典:二名津中学校「郷土の昔話」・・・平成3年度 川名寅雄(名取69歳)伝,取材(4603),編集:(5415)
昔、うちのお母さんが小学生の頃、台風何号かはよく分かりませんが、台風で校舎がこわれたことがあるそうです。
そこで、お母さんたちは集会所で勉強をしました。午前は低学年、午後からは高学年と分かれて学習していたそうです。
本当に大変な学生時代だったとの事です。
出典:二名津中学校「郷土の昔話」・・・平成年度 木村敏子(名取43歳)伝,取材:(4612),編集:(5410)