四国と九州が接近する豊予海峡は速吸(はやすい)瀬戸とも呼ばれ、激しい潮流が渦巻く瀬戸内海と宇和海を結ぶ海運の重要ポイントです。佐田岬灯台は海域の航海の安全を守るために大正7年4月から点灯している第3等灯台です。灯台の光は20秒に3閃光で光達距離は35km(19海里)です。また、灯台のすぐ目の前には黄金碆という岩礁があって潮流も速く危険なので灯柱が設置されましたが、現在は強 力な照射灯でライトアップしています。
海岸線は変成岩の岸壁が続く絶景で、季節風が吹き付ける厳しい環境の中。ウバメガシなどの常緑樹が強い風で曲がりくねり生えています。灯台周辺は日本で最初の国立公園である瀬戸内海国立公園に属する景勝地でもありますが、歴史的には国土防衛のための軍事上の重要地点で佐賀関に司令部を持つ豊予要塞の一部でもありました。
佐田岬灯台周辺の戦争遺産
灯台守が住んでいた時代は今よりアクセスが悪く、まさに地の果てでした。やがて観光ブームとともに三崎町はキャンプ場や遊歩道を整備していきます。漁協も御籠島の間に出荷調整のための蓄養池をつくり、「海人体験広場」と銘打った観光イベントを行ったこともありました。しかし、平成になるとアクセスの不便さからあまり整備されることもなくほとんど放置されていました。ただ、野坂神社の例祭に行う漁協の行う豊漁祭が行われていたいたときや灯台の日には、灯台を開放(左上の万国旗の写真)することもありました。
伊方町になってやがて灯台が点灯して区切りの百周年が近づくと、町も灯台周辺の観光地を見直すようになり三崎地域の観光産業を活性化するために結成されたNPO法人「夢希会」とともにいろいろなアプローチと整備がなされていきます。
そのころ駐車場の地盤に問題があり大規模な改修工事が行われます。そして観光案内所+BBQ施設+売店の機能を持つピクニックハウスが整備されました。
この灯台を訪れる観光客はまず三崎に着いて、ちょっと足を伸ばせばたどり着けると思っている人が多くいます。三崎から車道の終点である駐車場まで来るのも結構大変です。多くの人が駐車場の案内図でさらに灯台までは高低差のある遊歩道を1800m(往復1時間)歩く必要があることに気づき愕然とするようです。それで駐車場の端から間近にも見える九州と灯台の一部の写真を撮って引き返す人も多かったようです。そこで平成最後の年に一応灯台の全体像が見える水尻展望台が作られました。そこへは5分ほどで行けるのですが、できれば灯台までの遊歩道を自然を楽しみながら時間を掛けて歩いてもらいたいものです。
搭載までの遊歩道は軍道だったのでしっかり作られています。ウバメガシなどの常緑樹の林を抜け下りきったところに写真のようなバンガローのあるキャンプ場がありました。海水浴ブームのころには軍の司令部の建物を利用して「はまゆう」という名の海の家として夏場は売店を営業していたこともありました。私もバンガローを利用したことがありますが車を横付けできないキャンプ場は平成時代には敬遠されいつも閑散としていました。今は全ての施設を撤去して空き地と新設のバイオトイレがあるだけでキャンプ場としては営業していないようです。そこからは再び遊歩道は登りになりますが、昭和60年ごろまで宇和海側にも海岸沿いの遊歩道がありました。この遊歩道は今ではほとんどが強い波で崩壊し通行不能になっています。
そこから灯台への遊歩道は一端登りやせ尾根のを通過していきます。やがて正面に円錐形の小山が見えてくる。これが椿山で、山頂に展望台、中腹に周遊道がありますがこれは軍事施設の跡です。椿山の頂上の展望台からは椿のシーズンには眼前の灯台と共に花と海のコントラストのある風景が楽しめます。佐田岬灯台は「恋する灯台」プロジェクトの灯台にも認定されていてこの展望台には写真のような愛のモニュメント「ラブリング」が設置されていて、かなり無理がありますがうまく撮ればハートの中央に灯台を入れた記念写真が撮れます。ただ、まわりの木が生長すれば灯台は見えなくなります。また柵がじゃま(見ての通り)なのでれないような工夫がいるなぁと思っています。最近ハート関係の名勝?にやたら公金をつぎ込む市町村が多くどう考えたらよいものか正直困惑しています。
椿山を下ると鞍部には門があり、がっちりと作られた灯台守の宿舎の跡があります。そして正面の階段を登ったところが佐田岬灯台で、灯台の展望台には「四国西端地」の碑があり、黄金碆とその向こうの九州方面の展望が広がります。伝説では黄金碆とは権現様がこの海域の海の悪霊を封じた岩で、目印に黄金に光るようにしたらしいのですが強欲な海賊が金と思ってはぎ取ってしまい海難事故が起こるようになった岩礁です。
遊歩道は灯台の登り口から北に下り御籠島に新設した展望台まで続いています。蓄養池は隅に四国最西端のバイオトイレを設置してBBQや水上自転車を楽しめる新たな観光空間としています。灯台100年行事の一つではここにプロの有名料理人と楽団を呼び、音楽を楽しみながらお食事をするといった行事も行われました。その様な行事の際は蓄養池の側面に接岸できる渡船が客や資材を運搬することとなります。
御籠島も灯台100年企画でかなり大きな整備事業を行いました。写真のようにインスタ映えする灯台型の隙間のあるモニュメントを設置して灯台の撮影ポイントとするとともに、埋められていた砲台の通路を再整備しました。砲台跡の一つにはそこに置かれていた13cm榴弾砲のレプリカを設置しています。
展望台の上を見るとさまざまな石碑や石仏が立っている。戦争犠牲者のものもあるが、この碑の多くはこの地での海難慰霊の碑です。特に御籠島周辺の海流は速く渦を巻いています。そして野坂神社の大ダコに抱かれたご神体が引き上げられた地でもあります。地の果て感満載の佐田岬灯台を訪れる観光客はほとんどが昼食時に訪れ、16時を回るとほとんど人気がなります。でも、自然の美しさを本当に味わうことができるのは朝と夕です。私は冬場に灯台展望台に山岳テントを張って一日過ごしたことがありますが、強風はすさまじく海に突き出た半島の先端の自然の厳しさを味わうことができました。
なお、最果ての地の観光地は住民や行政、観光客の思惑と現実の折り合わないことがあり、そのやり方や維持管理については課題や考えさせる事が多くあります。そのことについても伍助会の立場で率直に考察しておりますので、興味がある方はみてみてください。