漢拏山登山2
トイレ休憩で混雑しているサラ岳避難小屋を通り過ぎると傾斜がやや急になってくる。15分ほど歩くと6.1km地点に休憩所(ベンチが2つあるだけ)がある。雪も深くなってこのあたりの積雪は50cm以上ある。11時13分1400m地点(このあたりから?標高100mごとに石碑がある)を通過する。ふと前を見ると、足をつった男を2人の男が解放している。まあそういうこともあるだろうが、問題は道の真ん中に、それも横に寝そべっていることである。広い登山道もそれは通れない。しばらくは他の登山者もそこで待っていたが、そのうち彼らが道をあけた。この場合、まず他の登山者の通行を考えるのが先じゃないのかとも思うが、他の人は特に気にとめる風もない。
林は低木と(完全に雪に被われた)モミ?が目立つようになってくる。そして低木が多くなり、見晴らしが良くなってくる。白い箱庭のような光景は、雪のツツジ畑となっている。しばらく歩くと右前方が大きく開け、小屋らしきものが見えてきた。ツツジ畑避難後屋である。三棟のしっかりした小屋と、便所、大きなソーラーパネルのある立派な小屋で、冬以外はここまでが登山許可区域となっているようだ。小屋への分岐には小さな管理小屋があり、その前にある看板を見ると、どうもここを十二時までに通過して、一時半までに頂上にたどり着けばよいようだ。現在時刻は十一時四十分で、十二時までには頂上には行けそうもないので、足取りも遅くなっていたのであった。ということで、何とか頂上へ行く可能性が出てきたが、一端落としたペースをあげるのはなかなかである。時間も時間だし、腹も減ってきた。ここでのシャリバテはかなりのダメージになると見た私は、少し登ったところで昼食をとることとした。積雪は70cmほどあるので、腰掛けるわけにもいかず、登山道のすぐ横で昨日買ったキムパブを出した。するとすぐ後に来た若い女性の集団が、わざわざ私のすぐ横に停まり、休憩をとる様子である。大声でおしゃべりをするその集団を横目で見ながら、他人の静かな空間を尊重する日本人の文化をなつかしく思いながら、これも「ウリの文化」なのだろうかとふと思った。山岳宗教を尊重する私にとっては山でのおしゃべりは、不愉快だからである。といってわざわざ場所を変えるのもいやみなので、仕方なくキムパブを頬張る。
明るくなってきた、空をふと見るとほとんど期待していなかった青空がひさしぶりに見えてくる。前を行く若い女の子の集団は、霧氷がおもしろくてたまらないらしく、立ち止まってはさわっている。おしゃべりには閉口だが、自然の美に素直に感動するその姿には共感がもてる。ふとその三人の女の子が立ち止まり私に何か言ってきた。どうも写真を撮ってくれと言っているらしい。デジタルカメラを差し出すその子には私が日本人であるとは分からないらしい。さて、カメラの操作はともかく、撮すタイミングをどう伝えたものか..。このときは手振りでごまかしたが、このような慣習はなかなか分からないもんだ。
しばらく登ると、正午前、いきなり視界が開け森林限界になる。空は雲一つなく、山頂部が目の前に迫っている。多くの人がそこのベンチで休憩する。後から来たアジュマに対して、聞いたことのあるフレーズが投げかけられる。「スゴハショッソヨ」..こういう場合にも使うんだ..。
目標のそこから少し登ると1800mの示標がある最後の休憩所。下界を見下ろすと始めて自分が雲海の上にいることが分かる。登山道には山頂までずっとしっかりとした柵が続いていて、そこには見事なエビの尻尾がついている。登山道は圧雪で、アイゼンは必要としないが、傾斜は急になり下る者も多く、上り優先の日本のルールは通用しないので十分に気をつけて登る。一時二十八分、エビの尻尾の間から除く1900m指標を発見。標高であと50m。二分で行ける距離ではないが、頂上はもうすぐである。ここまで来たらもし止められても何も分からない外国人になりきり、白鹿譚だけはを拝んで帰りたい。
H14.12.27-3