楊口到着
13:00、竜船はやがて(所要時間約45分)昭陽湖の東、楊口側の船着き場に着いた。ここは写真のように船着き場だけのところで、大丈夫かなと不安になるが、他にも客がいる。湾の奥には軍船が3隻止まっている。軍関係はシャレにならないのでこっそりと素早く写真を撮った。ちょっと登ると2件ほどの食堂があって、その前の広場に年代物の市内バスがドアを開けて待っている。バスにはサングラスのヤンキー運転手が乗っていて、「ヤングカジ、オルマエヨ」の問いに「パル・・・」と言う。3度繰り返してもらったがどうしても聞き取れない。その頃には韓国のバスは、料金箱に多めに入れると運転手が機械で簡単にお釣りを出してくれることを覚えたので、正確な金額はあきらめて、千wを入れようとすると、兄ちゃんはうなずいた。ジャラジャラ..お釣りから見ると820wだったらしい。ということは「パルペクイシボン」といってたのか..。そうは聞こえなかったが..。はじめて手にする50wと10w硬貨を財布に入れる。
バスは右手に軍関係の門(軍の船着き場?)をみて、ほとんど日本のような田園風景の田舎道を走る。運転手は盛んに客の婆ちゃんと大声で会話している。どう聞いても雑談である。韓国もこんなに奥地まで来たら日本を感じるものなど全くないだろうな...日本語など話そうものならとんでもない顔をされるのだろうか。思っていると、その時、すぐ後ろで、大声で雑談をする二人のおばちゃんの声が聞こえた。えっ日本語じゃないか..。それもこてこての東京弁だ。驚いて振り返ると、赤ちゃんを背負ったまさに韓国のオモニである。この二人は、楊口バスターミナルに着くまで遠慮なくまくし立てていた。話しかけようかと思ったが、異国の地でのちょっと孤独なノスタルジーに浸っていたので、遠慮することにする。彼女たちも結構おもしろい歴史を背負っているだろう。
やがてバスは、楊口大橋を渡って街に入るが、問題は降りるバス停である。地図を見ながら走っている地点を確認していく。たぶんこれが楊口の街だろう。バスは小さいが明らかに市場を横切った。この辺が中心地だろうな。するとすぐにバスターミナルの前で停まった。そこで多くの人が降りたので、私も急いで下車した。韓国はたいがいの街に立派なバスターミナルがあるようだ。急いで降りる..しまった、地図を忘れた。座席に江原道の地図と登山用地図カバーを置いてきてしまったのだ。バスを追ったが、もう後の祭りである。まあいいか。
楊口の町に降り立った私は、まずターミナル周辺の旅館を探す。今日ははじめての宿探しだから荘旅館にしようと、温泉マークと「チョンヨカン」のハングルの字をさがす。結局、比較的外見のさっぱりした「ソンチュク荘」にした。1階は食堂?で、2階から旅館のようである。階段を上がったところが、フロント兼家主宅のようである。「パンイッソヨ。」「イソヨ」「ソンブルインガヨ」「ネ・・」「イルバクエオルマエヨ」「イマノン・・」とハンドブック片手に緊張の会話である。イーの発音は、頭では分かっていても麻雀をする人はつい1と錯覚してしまう。1万wとは安いなあと差し出すと、「イーマン」「そうだそうだ..」とやっと気づく。歯ブラシとひげ剃りを差し出して「これもいるか?」というようなそぶりをする。いるというと、「イマンオチョノン・・」という。聞き取れなかったので、首を傾げていると、奥から「2万5千ウォンよ」と日本語がいきなり飛んできた。みるとおじいちゃんが得意そうな顔をしている。そうなのだ。無理矢理日本語を覚えさせられた世代である。料金を払うと、部屋のキーを渡された。記帳の必要はないようだ。
部屋にはいると電気が点かない。「またか」こんどは全くどこもつかない。どうしようかと思っていると、電気がついた。どうも空き室の電源はフロントで切っているらしい。テレビをつけるとほとんど映らない。田舎だから仕方ないのかと思っているといきなりきれいに映りだした。これも受信料の都合なのか空き室ではフロントで切っているようである。窓から外を見ると裏山とその上に立派な教会が建っている。
さっそく荷物を整理し、ザックを背負って14:00外出する。
2002' 8/23