華津浦
やがて、橋を渡ると、右手にファジン浦への道が延びている。ウンソがジュンソに気づいた場所だ。そこを200mも歩くと、海岸に出て海の家というより煉瓦風タイルのきれいなホテルがどんとある。だだっ広い海岸だけなのかと思っていたが、ちょっとした海水浴場だ。夏も終わりというので、泳いでいる人はいなかったが、それまで人気のない道を歩いてきたので、たくさんの人がいるのに驚いた。
確かロケ地の海岸には秋の童話の小さな看板が出ているということである。たぶんこの海岸だと思うが、どこだろう。そしてついにホテルの左にそのパネルを見つけた。テレビ映像を無理矢理デジタル拡大したあまりよい画像ではないがそれはそれで味があるのかも。ここがウンソがスタートダッシュしたあたりか?沖にある小さな島がいいアクセントになった確かにいい海岸だが、いい海の多い日本に住む私にとって取り立ててすごいとは思わない。この江原道の東海は、ほとんど鉄条網の海岸線が続き、また、バス道沿いの海水浴場はあまりに娯楽施設的である。河口から南の岩場までのほんの1kmほどの海岸がムードのある海岸としてもてはやされるのも、ここのようにバス道から外れた所であることが理由であるというのが実際なのだろう。海だらけの日本なら、むしろ西の沼の方が観光資源となるであろう。湖畔にホテルが建ち並び、遊歩道を整備すればいいリゾート地になるだろう。
楊口の川や雪嶽山の山肌を見ても、この東海沿いの江原道は花崗岩地帯であるようで、黒雲母のない無色鉱物でほとんど構成されているように思える。当然海辺は白い砂浜になる。実際、東海の海岸線はほとんど同じ白砂の浜である。砂浜を歩きながら波と戯れている人達、黄色地に暗色の縦縞の派手なシャワーテント。しばらく砂浜を歩いた後、ホテルの前に戻ってくる。ここにもよく見る水色の生け簀がずらりと並びヒラメやアジ等さまざまな魚が泳いでいる。イカの生け簀は日本ではあまり見たことがないので、しばらくのぞき込む。また、ホヤは、生きているのを見るのははじめてである。以前、日本の東北を巡ったとき、食べ過ぎて今では食べる気がしなくなったが、こんな真っ赤なホヤを見ると、ちょっと興味を持って思わずつんつんしてしまった。
ふと、ホテルの南の海岸を見て唖然とした。先ほどの「秋の童話」パネルはホテルの隅にひっそりと立っていて趣があったが、見ると上の写真を見ると分かるようにここから向こうに5mくらいおきに9つも並んでいる。それぞれ微妙に絵柄は違い、テソクも含めたここでのシーンが7種類(左写真)ある。まあ、トレンドドラマかも知れないが、これだけ並んでいると興ざめでもある。そのスタンドもちょっとさびかけており、まあ10年もてばよいってとこか。
海岸の南には50mほどの小さい山があり、遊歩道が延びている。そこから海岸にも鉄条網が再び伸びている。小山の登り口付近に小さな土産物屋がある。ここに入ってビールを買った。店員はこざっぱりした服装の若い男性だったが、値段を言って私が聞き取れないのに最初驚いた。初め何か文句があるのかといった表情をしたが、値段が聞き取れないだけだと分かると、むっとした顔のままで、電卓に金額を打ってこちらに見せた。
その奥に広い駐車場があって、そこに観光案内地図があるので、そこへ行ってこれからどうするか考える。この地図から見ると南に行った方が国道に近い。同じ道を引き返すよりも変化があっていいだろう。それこそ誰も通らない道だが、そこを歩くことにする。
湖を過ぎると段々の田圃が広がる。そろそろ稲穂がたれている田圃は、谷に沿って有機的な曲線を描いて広がっていて、懐かしい日本の棚田の風景である。人気のない田圃には時々白鷺も舞っている。山はほとんど赤松である。道路は普通の二車線で路肩(歩道)がほとんどないが、車は時々通る。車が右側通行なので、危険を感じて私は左を歩く。谷をつめると峠になっていてそこから下り、寒村風景を過ぎると国道(午後5時頃)に出た。
バス停は最初左で待っていたが、ふと気づき道路を横切る。おばさんが一人バスを待っていて、その手には小銭がたくさん握られジャラジャラ音を立てている。たぶんもうすぐバスが来るんだろう。たしかに韓国のバス利用には小銭がたっぷり必要である。すぐにバスが出て束草に帰った。帰りもコジンの港を往復したが、あれから数時間経つのに相変わらず花札?をしている。そして行きも帰りもこのコジンから乗る客も降りる客もいない。そのまま束草に向かう。
2002' 8/24