千仏洞渓谷

 しばらく登ると、下山してくる人がどんどん増えてきた。ほとんど休みなくだ。おそらく昨日上の山小屋で泊まった客だろう。これで、宿泊可能な山小屋が上にはあるってことが分かる。そこで気づいたのは、ほとんどの人が上り下りで声を掛け合うことがない。下る人は勢いがついているので、目の前まで来るとつい譲ってしまうが、譲られても何の反応もなくすれ違っていくものが多い。すなわちどうも日本で一般的な登山のマナーである「上り優先」はここでは通用しない。
 さらによく観察していると、他にもいろいろと気づく。登山者の靴は登山靴が少なく多くは普通の運動靴である。まあ登山靴は高いので、一泊程度の山行ならそれも仕方ないとしても、時々スリッパというのもいる。日本の場合、地下足袋が良いという人もいたが、これは論外だろう。集団登山の中にもそういう人がいるのだが、リーダーは注意しないのだろうか。まあ、その方が登山道へのダメージは少ないが..。そのためか、歩道の石は風化しやすい花崗岩質なのに比較的とがっている。アイゼンの後などは全く見あたらない。それでか、雪山用の目印テープもほとんどない。日本の登山道によくある岩や石の○×矢印もほとんどない。道標はきちんとした立て札だ。
 日本から雪嶽山に来た登山者が口をそろえて言うのが延々と鉄ばしごの続く光景である。うんざりするという人もいるが、そのハシゴの幅とかけられている岩場を考えるとそれをつけた人に対して頭が下がる。もしこの鉄ばしごがなければ、この沢づたいの登山道は岩へつりと大岩またぎで、とんでもない難コースになるだろう。そうなると一般の人には手のでない聖地になる。さらにこの鉄ばしごのせいで、靴による自然へのダメージは最小限に押さえられてもいるわけである。そして岩からせり出した登山道になることからその景観は絶景で、この鉄ばしごがない場合を考えると、その差は歴然である。水も心配入らないし、きわめて快適な山行である。
ほとんど水のない五蓮瀑布を仰ぎながら、グングン赤階段を登っていくと、やがて小屋が見えてくる。そして、12:10、その陽爆山荘(ヨンボクサンジョン)に着く。売店のある棟は沢の二股になった岩の上に立っていて、石を積み上げて作ってあり、名前の通り明るい山小屋である。前庭に大きなシートをタープとして張り、その下で多くの人が昼食を取っている。沢を挟んだ西にある棟も石造りの立派なもので、ここがどうも宿泊棟であるらしい。4つある入口は小さくその横にトイレもあるが、このトイレは新しくできたもののようで、ソーラーパネルつきである。
 時間もいいし、私も昼食とする。キムパブを口に放り込み、日本とほとんど同じタクアン(韓国のものは、浅漬けなので表面にしわが無いらしい)とともに食べた。ゴマの風味が香ばしく、酢飯でないのはむしろさっぱりして食べやすい。韓国の子どもが最も好きな食べ物だけのことはある。カップラーメンをすする人が結構多い。私は売店の前の水に浸かっている飲物の中からポカリのようなものを2千wで買って飲む。韓国の人は休憩中によくキュウリをかじっている。日本では山食とは糖分などの吸収のいいカロリー補給が一般的だが、韓国ではキュウリは果物の一つみたいなものなのだろうか。
 谷はどんどん狭くなるが、朱の鉄ばしごはさらに伸びる。谷をつめていき、右股の枯れ谷を登り切ると、標高1060m程度の恐竜稜線の鞍部に着く。ここにはフィウンカク小屋があり、その水場はすぐ向こうに流れるカヤドン峡谷の上流の沢である。ここも棟が二つに分かれていて、手前はトイレのようで、奥の棟に売店があり、そこは宿泊棟でもあるらしい。手前の棟にシートとを張り、タープとしているのは同じだが、ここが林の中にあることと、空が曇ってきたことで薄暗い。7名ほどの下山の中年団体が元気よく会話しており、タープの下では若い西洋人が、一人でチビチビとカップラーメンをすすっている。
 やがて、下山する団体は「カジャ」と言って立ち上がり、一人の男のリードで「テーハミング・チャチャ・チャチャ」を大声で三唱して下っていった。山のかけ声も「ヤホー」とか「ヤッホー」とか、昭和30年代の日本人と同じように叫んでいる人もいるが、谷底でも叫んでいて、どうも山彦を楽しむと言うよりは、山の一般的なかけ声と認識されているようだ。一般的には驚嘆の仕草や声は、日本より大げさで大きい人が多いようだ。

   2002' 8/25