中青避難小屋

 17:45、避難小屋着。ガスで大青峰は見えなくなっている。小屋の前には大きな6個のベンチがある。そのベンチに荷物を置き、チェックインの手続きをする。入口の横に事務所の窓口があり、そこで手続きをする。二人の職員が小屋の前にいて、私が手続きに向かうと一人が事務所に入っていった。
 窓口で自分が日本人であることを言うと、英語はしゃべれるかと聞かれた。そしてもう一人の職員が建物の中に案内して、中の事務所の前で手続きする。1泊5千wの料金を支払い、宿帳に漢字で住所と名前を書けと言う。そこまで書いて、パスポート番号を書けと言った。パスポートはザックの中にあったので、面倒な顔をすると、彼はちょっと考えて「もういい」?と言って、書いた住所と名前を二本線で消し、OKとなった。なかなかファジーである。彼らにも外国人を泊めた場合、面倒な手続きがあるのかもしれないが...。
 聞くと、食事は小屋で出していないという。食べ物が必要ならと指さしたのは、奥の棚に並んでいるカップラーメンである。韓国では、人前でカップラーメンをすするのはそんなに抵抗はないようだ。実際、コンビニの店頭で堂々と食べているのをよく見かける。まあそれはいいが、ビールもないと聞いた時は、一瞬目の前が暗くなった。日本の小屋はビールの売り上げが小屋の経営の大黒柱であるといってもいい。それゆえ売店があれば、最低でもビールだけはあるとみこんでいたのだった。飲物は缶コーヒーとペットボトルの水のみである。山小屋泊まりの大きな楽しみの一つは、ほろ酔いで楽しむ山の夕暮れであるから...。がっかりしている私を見る職員の目は、山でビールなど不謹慎な..とでも言いたげであった。毛布は一枚千w、寝具は持ってきてなかったので、毛布を一枚借りることとする。
 手続きが終わると、地下の宿泊部屋に案内された。途中調理や乾燥室にも使えるコンクリ床の広い部屋がある。そこには雨水を利用したタンクもある。その奥の宿泊部屋は2段になっていて、日本の山小屋ともよく似ているが、中央の通路は土足である。寝具の準備やザックなどが置かれているエリアは、この時間でまだ全体の4分の1くらいか..。もしかするとゆったりできるかも...。彼は、入口のすぐ横の66番を指し、ここで寝るように指示する。一人分の幅は約60cmで、ちゃんと境界の小さな印が入っている。だが66番は、端のため、さらに10cm程余裕がある。荷物の中からパンとクラッカーを取り出しジャケットとカメラを持って外に出た。小屋の玄関の中は広くなっていて、雪嶽山の写真などさまざまな掲示物がある。その中にここの売店で販売している物品の一覧表があったのでちょっとメモしておいた。全てハングルなので不明確な点もあるが、後で調べたところによるとおそらく以下の通りである。
 菓子類(クァジャリュ)は、エース(って名のお菓子?)800w、チャタクパイ(餅米のパイ?おかきのようなもの?)パイ?500w
 自由時間(チャユシカン:って名のお菓子?)800w、飲料類(ウムリョリュ)は、ケトレイ?(商品名?)1400w
 生水(センス)1.8リットル2000w・ 0.5リットル1000w、缶コーヒー(ケンコピ)(冷:ネン・温:オン)1000w。
 粉食類(プンシクリュ)は、沙鉢麺(サバルミョン:カップラーメン?)1500w、(生:セン)ラミョン(袋入りラーメン?)800w。
 雑貨類(チャッファリュ)は、ピルム(フィルム)3000w、プタンガス(国産のブタンガスボンベか?)1400w
 EPIガス3000w、ファジャンジ(化粧紙:ポケットティッシュのことか?)500w
 アイチェン(軽アイゼン)5000w、ソンジョンツン(懐中電灯)5000w。
 やはり日本よりちょっと安いが、さすが避難小屋だけあって、ペナントとかバッチとか酒類など儲けを考えた物品はない。
 外は少し暗くなったとはいえ、景色は十分見える。目の前にそびえる大青峰もガスがはれ、今でははっきりと見える。砂礫の道が延々頂上まで伸びており、午後6時をまわっているというのに、まだ次から次へと登山者が降りてくる。ここに停まるのかと思いきや、ほとんどが避難小屋を通り過ぎ、小青峰方向へ行くのである。道がいいとはいえ日本ではあり得ない光景である。結局7時を越えかなり暗くなっても登山者は絶えなかった。大青峰の反対側にはそれと対照的な濃い緑に覆われたレーダーのある中青峰が静かにたたずんでいる。標高1600mのこのあたりはもう秋の気配で、日が傾くと少し肌寒い。私は昨日買ったウインドブレーカーを羽織り、心地よい風に吹かれる。6つのテーブルのうち5つでは加熱道具に鍋や皿を出して賑やかな夕食会が営まれている。夕食というよりまさに夕食会で、ミッパンチャンの国らしく、どうして山にこんなに持ってくるのと思うくらい鍋や食器が並んでいる。
 私は誰もいない一番前のテーブルの前に腰掛け、景色を楽しみながら地図や案内書を広げ、持ってきたパンとクラッカーを食べながら、今日の登山の確認と明日のルートの計画をしていた。実際には明日は天気さえもてば、ほとんど下るだけである。日本なら景色を肴にビールをやりながら、ラジオで天気を確認したり、番組を楽しんだりしているだろう。しかしここには何もないし、話すことの可能な人もいない。が、豊かな自然の中では、寂しくはない。外国だということで、逆に気楽なものである。

   2002' 8/25