江陵散策

 バスターミナルビルを出ると、斜め向かいに近代的な電気店が見える。そこに行ってみることにした。明るい店で、ワンフロアーなれど、日本の大きな電気店のように整然としている。中においてある電気製品も日本とほとんど同じようなものだが、メーカーの名前だけがサムソンやLGである。ただ、SONYだけは、日本独自の音響機器を出しているせいか並んでいた。価格もそんなに安くは思えないし、客も少ない。売るための店というより、高級電化製品のイメージづくりのための店のような感じだ。
 再び駅の方に向けて江南路を歩くが、しばらく歩いて、さっき通ったときに気になっていた右手の坂を上った山の手?の住宅地の方に行ってみることにした。坂道が丘を越えているので、そこからの景色にも興味があったのだ。そのあたりは住宅地で、表札も漢字の所が多い。地震がないためか、ブロックを積み上げたような家が、坂道沿いに並んでいる。ソウルでもそうだったが、各家には立派な塀があり、鉄の丈夫な門がある。丘を超えたあたりは、畑さえもあるのどかな街景色である。雪嶽山で出会った若者の一人もこのようなところに住んでいるのだろうか。思ったほど視界が開けないので、ほとんど迷路のような路を旅館の方角に歩いていく。
 再び江南路に戻り、鉄道高架をくぐる。そして、江陵のメインストリートである南江路を下る。このまままっすぐ行くと、南大川や中央市場に出るのだが、2つの山登りと登山靴での散策で、いい加減足も悲鳴を上げている。また、だいぶ日も傾いてきたので、旅館の方に戻ることにする。旅館のあたりもある意味では繁華街である。韓国の一般の街の繁華街には、日本でいういわゆる歓楽街とかネオン街はほとんど存在しない。せいぜい食堂街、飲屋街に毛の生えたようなものである。日本のように度を過ぎた消費歓楽賭博施設や官能的な娯楽は探さないと目に入らないのは、貧しさの現れというより、儒教的な人の生き方によるものだと信じたい。そういう意味では精神的な成熟度に対して物質的な豊かさの肥大した、バランスが崩れ自ら制御できない日本の娯楽文化の流入を制限したことは、韓国の成長にとっては良かったのかも知れない。
 寒松路を現代病院の方に歩き、その交差点からは駅前の五叉路にでた。旅館街の周りをぐるりと一回りしたことになる。この辺も繁華街であるが、消費者にこびたり派手な看板が並んだりする光景は少ない。日本のビジネス街というほどではないが、東京の上野、合羽橋周辺の雰囲気に似ている。今度は旅館街の路地に入っていき、夕食をとれる店を探す。旅館街の中央には明るいコンビニがある。コンビニは、日本のようにそこここにあるというのではない。韓国では一地域にせいぜい1つである。
 しかし、なぜか気に入った食堂が見つからず、くたくたの状態で今日食べたいメニューも考えつかず、日も落ちた頃、パークホテルのすぐそばの食堂に入る。その食堂は、五十くらいの大きなアジュマがやっていて、珍しく調理場も食堂内にあって、一部が座敷にもなっている。何を頼むか悩んだが、カルククスがあるのに気づいて、3千wのカルククスを頼んだ。カルククスとは鍋焼きうどん風の麺料理で、北京鍋で作っていた。出てきたカルククスは、正直言って、生うどん(どちらかというときしめん)をそのままゆでたみたいなもので、伸びきった給食のうどんみたいである。それでもお腹がすいていたので、おいしく食べていた。野菜などはたっぷり入って、栄養のバランスはよく、ミッパンジャンもあるので、ボリュームもある。
 八割方食べたところで、アジュマが満面の笑顔でやってきて、「マシオッテヨ」とたずねてきた。まずいとも言えないので、「マシッソヨ」と言ったが、するとまだいらないかと言ってきた。私の体格がよいので、多めにつくっていて、どうかというのであろうか。だいたい腹八分目なのでももういいとも思ったが、おいしいと言った手前、アジュマの視線に負け、少し下さいと表現した。すると北京鍋ごとカルククスを持ってきて、私の容器に残りを全部ぶちまけた。最初にあった量と同じくらいである。「うっ、トヌンモモケッソヨ」のフレーズを使おうとも思ったが、そこは出されたものは全部食べる礼儀の身についた?日本人である。しかたなく、食べることにした。体はカッカと温まり、こめかみからは汗が流れる。ようやく食べ終えたが、のどまで詰まっている感じである。腰を曲げたたまま、にこやかに「チャルモゴッスミダ」と言って店を出た。
 旅館では今日の疲れと、動けないほどの満腹状態である。テレビもゆっくり見られないほどで、あっという間に眠りについてしまった。

   2002' 8/27