ペクム洞の朝、トイレ事件

 8月15日、光復祭の朝7時に起きる。今日は南原から馬耳山へと向かう。写真は私が泊まったハンヤン山荘である。ここで荷物を整理しているうちに、大きい方でトイレに行きたくなってきた。廊下に出てトイレを探すがこの建物にはない。仕方なく、ちょっとお大きな隣の棟に行く。トイレの表示はないので、それらしき部屋を2〜3のぞく。(私の部屋もそうだったが、どの部屋も鍵はかからない)しかし人が寝ているだけでトイレはない。仕方ないので店に行き、戸を叩くが出てこない。
 仕方ないので、近くの開いてる店に入る。出てきたハルモニに「ファジャンシルオディエヨ?」と聞くと、ハルモニは奥に入って、チャチリ紙を持ってきて差し出した。ありがたいけどそうじゃないんだけどな。まだこのときは余裕があったので、店からでる。観光地なんだからどこかには公衆便所があるだろう。とバス停の方に向かう。途中のミンバクのトイレらしきところも探したが、トイレではない。しばらく店やミンバクが並ぶがそのうちこれらの家々もなくなり、山間道になってきた。さすがにこのあたりでは、深刻な状態が近づき、脂汗が流れてきた。キャンプ場なら確実にあるが、ここから引き返すのはかなりの距離である。先はどのくらいあるのか、はたしてバス停あたりに便所はあるのか大きな賭であった。
 歩き方も内股となり、おろおろと歩く。再び多数の家屋が見えてきた。そしてその向こうに大きな駐車場とバスターミナルが見えてきた。そしてついにそのターミナルにきれいな公衆便所を発見したのであった。ちょうどトイレから出たときにバスが出発した。トイレは聞かなかったが、バスは7:30頃と聞いていた。タイムテーブルを見ると7時20分が始発のようである。今出たのがそのバスであろう。
 宿に引き返す。初めてこのミンバクが「ハンヤン山荘」という名であると知る。主人が出ていたので聞くと、7時20分はソウル行きで、南原行きは8時30分が始発だそうだ。出発の準備をして、再びバス停に向かう。改めて歩いてみると、朝靄に包まれた山村はのどかである。まだ時間はあるので、ゆっくりと写真など撮りながらバスターミナルへ向かう。
 道々の木には、木の名前を書いた札などかかっており、この道は遊歩道でもある。バスターミナルの近くには、警察署もあり、韓屋ミンバクや売店も被い。売っているのは、写真のように木の皮や干した野草の束、蜂蜜や人参など漢方薬など、韓国で最も深い山とされる智異山らしいものが多い。 様々な川魚のいけすもある。この時間になってこのペクム洞も目覚めてきた。
 ここのバスターミナルの外観の多く部分が展示窓になっている...というか、展示館の一部をバス停に使っているという感じだ。何の展示かと言うと、なんと軍需物資なのである。ヘルメットや水筒、食料品、食器、軍服などもあるが、銃器はAK47突撃銃、M1ライフルやカービン銃、ピストルは、リボルバーのマグナム、コルト45、トカレフ33、マカロフ、そして手榴弾まである。この山は抗日、および大韓民国成立後、朝鮮戦争の残兵や様々な反政府組織がこの山にこもってゲリラ活動をしたという。どうもこの展示館は、そのあたりのものなのだろう。
 左の写真はバスのタイムテーブルである。運転手の話によると、バスは南原直通ではなく幹線道路沿いの引月(イヌォル)までで、そこからは乗り換えることになるらしい。どうも南原経由から全州行きのバスもあるようだが、始発は9時40分になっている。代金1300Wは、出発直前に運転手が集めに来る。8時30分、バスは出発。途中ですれ違ったバスの運転手とたばこの交換なんかしている。バス停に着くとクラクションを鳴らして合図している。途中の小学校では運動会が始まろうとしている。日本と同じく万国旗がにぎやかだ。馬川中学校でも何か大会が行われているようだ。この川の石は白っぽい緑色片岩のようだ。途中の停留所で20人ほどの若者が乗ってきてバスは満席だ。
 9時5分インウォルのバスターミナルに着く。すぐに南原行きチケット2200Wを買い、南原行きバスに乗り込む。ここではほとんどの人が、同じように南原行きに乗り換えるようだ。9時9分バスはインウォルを出発。のどかな田園風景である。土畦の田んぼの稲の穂はたれて、向こうの方には黒山羊が草をはんでいる。
 峠を越え、そこから標高で350m下ると、高層アパート群のある街が見えてきた。どうやらそれが烈女伝説の都:南原のようだ。

   2003 08/15