ラオスはこれと言って外貨を稼げる大きな産業や資源もないので、外見的には貧しいようにも思えるが、それは価値観の問題である。とはいっても、すでにビエンチャンは、大都市特有の格差社会、貧困の問題もあるようで、物乞いには多く出会った。東南アジアには子どもを使った物乞いが多く、私は、教育上、私はむやみにお金を与えないことにしている。そのかわり、お金を乞う子どもには、50円玉を与える。世界で珍しがられるこの穴明き銭は、とりあえず日本の記念品となるからである。実際、親はけげんな顔をしますが、受け取った子どもはしばらくきょとんとしても結構喜んでいる。ところが、ビエンチャンのバスターミナル前で出会った物乞いは、やせ衰えた赤ん坊にしわしわの乳房をくわえさせて手を出すおばばのように見える女であった。このときは、私も、さすがにお金を与えてしまった。出国前だったので、余ったキップ紙幣があったからだ。
再び友好の橋を渡り、タイに戻りノーンカイのバスターミナルに行った。夜行列車の時間まで、メコン河畔を西に向いて歩いた。ノーンカイは国境の町なので、観光客もたくさんいる。しかしそれも町の中心部だけで、少し郊外に行くと素朴な田舎町である。船で越境する地元民のためのイミグレーションセンターは、日本が作ったそうだが、どうも使われている様子はない。さらに日の傾きかけたメコン河畔を西に歩いて行く。左の写真は、タイ−ラオス国境を結ぶ友好の橋である。旧ノーンカイ駅から公園を横切り駅に向かう予定だったが、周りに人家もなく誰もいない旧駅は、野良犬がうじゃうじゃいてほえまくるので退散した。ここを通らないとなると駅には時間までにたどり着かないかも知れない。仕方ないのでトゥクトゥクで駅に向かう。
ノーンカイ駅前で十分な夜食を買って、バンコク行きの列車に乗り込む。行き先はアユタヤである。