串のみのこしから長崎鼻をまわり正野へ向かう上手の県道をしばらく進むと、中の谷で旭へ続く車道が左に分かれています。底に倉庫がありそこから谷川沿いに山道を少し登ると廃屋があります。その家の裏山を少し登ると三崎町で最も大きいイチョウの木があります。なるへ登る大カーブから少し下ってもたどり着くことができます。
樹齢は百年を越え、周囲は3m以上で、歳をとったイチョウに特徴であるのつららのような気根がたれさがっています。そのすぐそばには平家の落人の供養のためと言われる祠もあります。今は周りの木々が生い茂り、薄暗くうっそうとしていますが、地元の人に聞くと、昔はこのイチョウのあたりは広場になっていて、子どもの頃の遊び場の一つだったそうです。各集落からもここに通じる山道があったといいますが、今では分からなくなっています。
昔は小学校の児童が探検に来るルートの一つでしたが、この地域に子どもも少なくなりここを訪れる人は全くいなくなりました。巨木ですがまわりの木も結構大きく、周辺からも見えないため今はこのイチョウに案内なしで行ける人自体が少ないので、登り口や途中のポイント数カ所にアクリル板の道標を設置しました。
平成の終わりに上手から成るの山の尾根に9基の発電用の風車が設置されました。このイチョウの周辺は鳥の声だけが聞こえる静かな場所でしたが現在は風車の風切り音が一日中鳴り響いています。このイチョウはにぎやかになって喜んでいるのでしょうか。それともうるさくて迷惑しているのでしょうか。
三崎の山手にある伝宗寺の敷地内にある楠の木は、大変大きく、ずっと昔から三崎の人の生き様を見守ってきました。このくすの木についての確かな記録はありません。しかし、千年ほど前にこの辺りにいた海賊である藤原純友をとらえに来た源経基がここを訪れたときには、すでに枝を伸ばしていたと言われています。
これほど古い大木なので、数々の伝説もあると考えられます。例えば、戦いに勝利するときには花が咲くと言われ、「勝利の樹」として縁起の良い木だといわれています。日清・日露戦争の時も白い花を咲かせたとのことです。
高さこそ17mほどですが、根元の周囲は10mを越える巨大なごつごつとした幹を持ち、ねじれた枝にはが今でも青々とした葉が茂っています。この木からは長い年月を生き抜いてきた力強い生命力が感じられます。昭和五十四年に三崎町の天然記念物にに指定されています。
この写真は台風で傳宗寺の山門が崩れたときのものです。
楠は中に空洞ができやすい気でですが、この傳宗寺の楠も大きな空洞があります。根の間から潜り込むことができるようで、中に入った人の談によると子どもが5人ほど入れるそうです。昔、子どもたちがこの中に入ってたき火をして火事になりそうになったことがあったようで、今は入口を埋めてしまって入られないようにしているそうです。現在あこうの幼木が育っておりそのままにしておけばあこうに被われてしまうのかもしれません。
では上の大バベとは...三崎の北部、高神様の横にあるウバメガシのことです。確かにウバメガシとしては大きな木なのですが墓地の横の斜面から生えて主幹が地面に水平に伸びているので高さが感じられず、すぐ上にまっすぐ上に向いて生えているエノキや、高神様のエノキやタブノキに挟まれる形で幹には多くのツタが絡みついてまったく目立たない、文字通りの日陰者なわけです。
しかし一応町の木のチャンピオンらしいので一応紹介しておきます。
ちなみに炭焼きもほとんど絶滅したので、三崎地域ではウバメガシは庭木以外ではほとんど利用されていません。しかし、三崎の東地区の人にとっては知っていてほしい樹木です。何に使われるかというと、牛鬼の首を支える木がウバメガシだということです。引き締まった折れにくい木なのですがまっすぐ伸びる形のいいバベは少ないらしく、東の人は祭りが近づくとバの木の品定めをしているそうです。
二名津では10月初旬に秋祭りがありますが、二名津では子どもと郷土芸能振興会が行う唐獅子がその中心になります。宵祭りの早朝、このばくちの木の下で唐獅子の舞いが行われそして二名津の祭りが始まるのです。ちょうどそのころこのばくちの木は花をつける時期になります。バラ科の樹木なのに花弁も小さく地味な花ですが、子どもたちの舞いを精一杯祝しているようです。
左の写真は平成23年度に地元の小学生が「ばくちの木」を題材にした劇をやっているところです。将棋で有名な酒田三吉が九州旅行の途中に二名津に来て、博打で身を持ち崩す男をたしなめるといった内容だっとと思います。学芸会では大道具のばくちの木で劇を行いましたが、せっかくなので実物のばくちの木の前で演じてみようということになってその様子をビデオ撮影しているところが左の写真です。子どもが大好きなばくちの木、おそらく自分の存在価値を子どもたちによって大いに引き出してもらって喜んでいることでしょう。
タブノキはクスノキ科タブノキ属の常緑高木で、枝を伸ばし大きな木になるものが多く三崎地域には各地に大きなタブノキがある。三崎の傳宗寺の大クスの左側にある巨木もタブノキであるし、高神様にも大きなタブノキが枝を広げている。それらの中でも最も大きく枝を存分に伸ばしているのが平礒の港のすぐ上にある大タブである。近くに人家はないので身近な木とはいえないが、根本には祠もあり平礒の人に聞くと「山の神」という名で呼んで信仰している人もいるとのことでした。
実は三崎地域で伍助会が最初に目をつけた巨木はこの木であった。平礒には他に三社神社の境内にみごとなイチョウとエノキの巨木がある。平成8年平礒を通ると、神社の下に半球状の森があることに気づきました。近づいてみるとそれは森ではなく一本の樹木だったのです。それがこの大タブとの出会いでした。斜面から生えているのですが、根元に立つと四方に存分に枝を伸ばす樹木のパノラマンが広がり生命力にあふれたこの巨木に畏敬の念を感じつつしばし息をのみ見いったものです。残念ながらそれから数年後、台風で大枝が折れ1/3ほどが崩落したことで現在は美しい半球状の形ではありません。しかしその大きな大タブの森は健在です。今後もゆっくり枝を伸ばし徐々にその美しい森を形成してくものと期待します。
さて、佐田岬半島ではイヌビワのこともタブといいます。その実を食す習慣があるためタブノキと混同している人も多いのですが、イヌビワはイチジクの仲間の落葉樹なので全く別物です。確かに実の形が似ているのでタブ(イヌビワ)が大きくなってタブノキになると考える人もいるのでしょう。ではタブノキの実は食べることができるのでしょうか。実はタブノキはアボガドに近い種なので小さなアボガドとして食することができないわけではないとのことです。食べた人の話では確かにたくさん果実を集めればアボガドど同じような食感だが、甘い実ではなく脂肪性の実でほとんど果実はないので食用にするのは現実的ではないとのことです。しかし鳥にとっては手頃な大きさで高カロリーの理想的な木の実なのかも知れません。
その歴史的背景からこの地区はただでさえ地盤の弱い佐田岬の南岸のせり出した斜面に張り付くような形で形成している集落です。平地も少なく迷路のような石段の歩道が縦横にあって何度行っても迷ってしまう集落ですが、唯一目立つランドマークとなる木があるのです。それが集落のせり出したところに生えるよのみの木なのです。そんなに高さはないのですが前述の理由でまわりに高い木もないのでイヤでも目立つわけです。
よのみの木とはニレ科エノキ属の落葉高木であるエノキのことです。この半島でも巨木それも冬には葉を落とす季節を感じさせる高木というとまずエノキのようです。名取のよのみの木も冬には吹きっさらしで葉を落とし本当に寒そうですが、春になるとみずみずしい新緑が気持ちを高揚させ、夏は貴重な日陰を作ってくれます。では秋は?
実はエノキは多くの生き物を育むという点ではチャンピオンといっていい木です。葉は国蝶のオオムラサキやタマムシをはじめとする多くの種類の昆虫の食樹となり、秋に実る甘い小さな実は小鳥にとってご馳走となります。ケヤキに近い種なのですが強度が劣り曲がりやすいので建材には適さないのですが、燃料材としては優れているらしいのですが薪を燃料とする生活をしている人は今は少ないですよね。
さて、名取のよのみの木はもう一つ大切な役割があります。それは木の根元にある十一面観音がこの地域で根強い信仰を集めている点です。三崎地域には高神様をはじめとする多くの場所に分布し大きく育っていますが、やはり一番目立っていて住民に親しまれているといえば名取のよのみの木ということになるでしょう。
でも、三崎地域のエノキは他の地域と異なりかなりのリスクを負っています。それは殺し屋ともいわれるアコウの木の餌食となる確立が最も高いのがエノキだからです。三崎は年中アコウの実が実るのですが、鳥に好かれているエノキの枝に種が張り付きやすいのです。特に本三崎の高いエノキはほぼ全てアコウの幼木が順調に育っておりその気の毒な運命が予想されます。
その実態はあこう樹のページを参照してください。