二名津地区

 二名津は旧三崎町第2の集落で、三崎町との合併前の神松名村の中心地だったところである。私の住んでいる住宅のあったところにその村役場があったと聞く。今では晩柑類の栽培がこの集落の産業の中心でほとんどの家が少ないながらもミカン山を持っており、1月〜4月の出荷時にはミカン入りのコンテナを満載したトラックが走り回っている。道の各所にある倉庫もほとんどが出荷用の貯蔵倉庫である。旧神松名地区の人は勤勉で、松を除きおおよそ穏和な人が多いようであるが、中心集落であるこの集落の人柄が大きく影響していると思われる。海辺の人は明るく活発で小さいことにはこだわらないにぎやかな印象があるものだが、ここの人は、実直で丁寧でありそれでいてよそから来た人にも優しい。内陸の五十崎町出身の私は、海辺の元気な人に振り回されるのではないかと心配して来たが、いざ住んでみると抵抗なく住み着くことができた。 三崎町の他の集落を見てみると一般的に剛気だがおおざっぱな人が多い。そういう意味では、繊細で勤勉な二名津の人は三崎町の中でも大切な人材であると考えられる。子どもにもその傾向があり、その風土や人間性をじっくりと認識してその良さを育てていってもらいたいものである。認識の浅い人には、他の地区の子どもと比べると元気がないとか覇気がないとか言われるが、私も4年ほど住んでみて総合的な能力やこの激動の時代に対する資質においては、他の地区の子どもに対して優れているとさえ思われる。それをうまく育てる教育をしているかということは別の問題であるが..。
 中心を流れる大谷川はほとんどまっすぐに南東へ伸び、二名津中学校前から南に伸びる二名津川、二名津小学校の裏から東に伸びる足谷川、川などの支流が流れ込んでいる。この豊かな水系によって、昔から水不足で苦しんだ三崎町にあって、ただこの二名津だけは安定した水が得られたと言われる。しかし現在の大谷川は工事によって小学校横から川の水は地下に流れ、中学校の前まで普通は涸れ川となっている。それでか、私のいる住宅の湿気はひどく、夏場はエアコンか除湿器を常に稼働しておかないといたるところにカビが発生してしまう。
 二名津は、柑橘栽培を中心とする農業中心の集落である。近年、中学校、小学校、保育所が三崎に統合され、今は診療所も休業していて公共施設がなくなったため、街の様子も大きく変化している。しかし、信仰に厚く団結が強い二名津の人たちは、伝統的な行事に加えさまざまに工夫した地域行事も企画し、地域を盛り上げていこうとする気概が見受けられる。  秋祭りでは川之浜の流れをくむ唐獅子に独自の四人舞いを加え、さらに子ども相撲などの地域が楽しむ行事の工夫を加えている。上の記念写真は初代の唐獅子のものである。また、お伊勢踊りで有名な春祭りや、重厚なくどきをもとにした盆踊りも本格的なものである。その他、石鎚神社や大師堂、地蔵堂等では毎年お講やお接待が営まれ、他の地域では途絶えた宗教文化が今でも残っている。  地域イベントとしては、小学校行事から発展した「こいのぼり祭り」や、空き地利用の「わが家ライブ」、旧家村井邸を活用してシンポジウムから演芸会等多様な運営を展開している。さらに昨年は、旧中学校施設を利用した大衆演劇やライブカフェ、ライトアップ行事等々、次々と独自の地域活動を実践している。二名津地区は、左写真の運動会での仮装でも分かるように、他の地区の追随を許さない完成度の高い出し物を披露し、地域の団結力と独創性を示していた。今後もこのバイタリティー豊かな地域性を発揮してもらいたい。
参考資料: 二名津地域の昔話