三崎地域の山

 ほとんどの三崎地域の山には伽藍山以外はなぜか固有の名前で呼ばれるのを聞いたことがほとんどありません。そもそも山の集合体によって佐田岬半島は形成されています。それで「山」というだけで生活の場である近所の畑のある山のことを指すので、特に名前をつけなくても問題がないのかも知れません。その中で一応名前のある特徴的な山を集めてみました。

大山

 伽藍山の南、細長い佐田岬半島の南にぶら下がるように張り出しているのが南部半島です。その南部半島の最高峰が大山(標高366m)でその麓にある集落名から「名取伽藍」という呼び名を聞いたこともあります。写真のようにすっきりとした円錐形の尖った頂上となっていています。 頂上のすぐ南西にうら越えという峠があり、そこを越えるうら越え道は名取と三崎を結ぶ生活道でした。そこには電波塔も建っています。そのうら越えには巡礼を終えた人が寄贈した大きな石柱が立っています。また、この赤道は佐田岬を横断する鼻四国八十八ヶ所の巡礼路にもなっているので道沿いに札所を表す番号のついた石仏が何体か立っています。
しかし、今ではこの道を通る人はいなくなり荒れるにまかせています。 大山の頂上はうら越えから尾根伝いに登ればすぐですが、道はなく頂上にも三角点以外特に何かが立っているわけではありません。 名取という集落はこの山の中腹にあり、宇和島藩の海岸線の多くが見渡せることから仙台藩から移ってきた藩主は領地の監視と軍馬の育成のために名取郷から移住させられてきたされています。 この山の北側の峠は大谷越えと行って二名津と名取の主要生活道でした。陸の交通が不便だった頃、定期船は名取に着くので、二名津の人はここを越えて八幡浜や松山に向かいました。 うら越えと大谷越えの中ほどに「しむね」という地があり、写真のように多くの石仏が祀られています。昔はここにお堂があったようでお籠もりや独自の行事があった用です。 大山の北西面は写真でも分かるように尾根がねじれており、山道に慣れている私でも何度も迷うほどの地形なので、不慣れな人はうっかり近寄ってはいけません。倒木も多く猪も多いというリスクもあります。ただこのエリアには雨ごいをした形跡がいくつか残ります。三崎地域で最も水に恵まれなかったのは西部地区とこの名取でした。

 ※ 以下は三崎地域の特徴的な山の写真です。見たい場合は名前をクリックしてください。

金比羅山(二名津)・・・・・・・金比羅神社とのろし台のあった場所で、現在も ミニ四国八十八ヶ所信仰が残っています。

のんしら山(二名津)・・・・・化け猫伝説の残るはちまき岩が残る山で右の平家谷にも落人伝説があります。

花の木山(二名津)・・・・・・天然林の花木が春には萌える美しい山で、山頂に石鎚山遥拝所があります。

城山(大佐田)・・・・・・・・・・・松森城(戦国時代:二宮新助の居城)のあった山で山頂には広い平地が広がっています。

※ 右写真はのんしら山のはちまき岩です。二名津集落に転がり落ちるかもと心配されていたこともありました。
   二名津中学校情報委員会の生徒が現地調査して撮った写真です。

        伽藍山のページ


 
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